ぼくは行かない どこへも
ボヘミアンのようには…
気仙沼在住の千田基嗣の詩とエッセイ、読書の記録を随時掲載します。

今井照 自治体再建―原発避難と「移動する村」 ちくま新書

2014-11-04 11:56:49 | エッセイ

 先月、岩手県紫波町に行ってきた(これは仕事で視察)が、9月にもお邪魔して、それは今井先生の講演会があったからで、福島大の先生のゼミの卒業生が紫波町役場に勤めているらしく、その縁で、セミナーを開催したということらしい。

 地方自治セミナー 今井照教授が語る『地方自治の新たなかたち』、東日本大震災後の新たな自治の形~住民と職員が地域の再建に問いかけるもの~ということだが、チラシを見ても主催者がだれとも書いていない。先生のゼミの卒業生が、内輪で開いた勉強会に、東北自治体学会のメンバーも呼んでいただいたということなのだな。

 紫波町役場の方々と岩手県内の自治体職員が主な参加者、私は宮城県とはいっても、岩手のほうに飛び出た気仙沼なので、近場は近場。

 実は紫波町の図書館が結構面白い図書館で、内々その見学もしたかったのでお邪魔したところだ。図書館も含むこのエリア開発の仕掛け人である紫波町の高橋堅企画課長に、じきじきにご案内いただいて大変有意義な視察になった。(これを踏まえて、10月のマイクロバスを仕立てての視察となっている。)

 図書館の話はさておき、その際のお話が、この本の内容を踏まえたものであったのは言うまでもない。今年の2月10日が発行日である。

 「江戸時代、たとえば干ばつや水害などの自然災害が起きて、田畑が耕せなくなると、村人たちは集団で移住した。村が移動するのだ。村という言葉は奈良時代からあったが、現在のように土地の区画を示すのではなく、もともとは人の集合体のことを指していた。だから、村の人たちが集団で移住すれば、それは村の移動を意味していた。」(9ページ)とプロローグは書き出されている。

 これはもちろん、福島県浜通りの8つの町村が、東京電力福島第一原発の事故の影響で避難を強いられた現況に対する問題提起、解決を図るひとつの方策を書き記すための歴史の振り返りである。

 村とは地図上の土地の区画のことではなく、共に暮らす人間の共同体のことなのだ、と今井氏は確認する。

 しかし、一般的には、まずは「区域」である。

 「自治体の構成要素は「区域、住民、法人格(自治権)」と言われている。」(198ページ)

 地図を見れば明らかに各市町村には区域がある。日本の地図上に、県や市町村の境界の線が引かれていて、まさしくその中がひとつの自治体だ。県や市町村になっている。

 Aさんの家族が、町の境を超えて引っ越せば、所属する町が変わることになる。これはあたり前のことである。これは、一家族であっても、2~3家族でも変わりはない。10家族でもそうだし、この手でいけば、百だろうが千家族だろうが同じことになる。

 現在の法律上では、このことに全く疑問はない。X市から千家族、3千人がまとめてY市に移住しても、かれらは、素直にY市の住民になる。それが正しい解答であり、ひとつも疑義はない、ということになる。

 しかし、今井氏は、その考えに異を唱えようとするわけだ。「村の人たちが集団で移住すれば、それは村の移動」ということになるのだと。

 いま、原発事故以降、現実に、村の、町の丸ごとの移動が行われてしまっている。それは緊急避難的な事実上の出来事としての自治体の移動であるわけだが、今井氏は、それを法的にも自治体の移動と捉えようという提言を行おうとしている。

 自治体が丸ごと、他の自治体の中に移動する。場合によっては、いくつかの自治体に分散して移動する。長い時間のなかで形成された人間の共同体としての自治体が、場所を変えて存続する。

 そこは、ある自治体の中に、別の自治体がいわば飛び地として存在するということにもなるが、今井氏は、地図上の区画としては手をつけないで良いとする。住民は、移動した先の区画としての自治体の住民であると同時に、もともと属していた自治体の住民でもあるというふうに制度化すべきだと。いわばヴァーチャルな自治体ということにもなる。

 これは難しいことではないだろうか?法的に、そんなことは可能なのか?法律改正をするとして、どんな理屈付けでそれが可能になるのか?

 今井氏も、そんなことは無理だという意見をいくつか並べて検討していく。

 「有識者の中での有力な反対意見として、行政学者の西尾勝が次のように書いている。(西尾勝『自治・分権再考』ぎょうせい、2013年)『複数の市町村への住民登録を許容することは、転出・転入の正確な把握を一層困難にし、住民が現に居住している住所地を特定できなくなるだけでなく、住民が複数の市町村において選挙権を有する結果になりかねず、選挙制度の根幹を揺るがすことにもつながるので、適当ではない。』」(190ページ)

 西尾先生は、自治体学会の代表運営委員も務め、地方分権推進委員会の副委員長も務めた地方分権の代表的な論者である。

 国民に、選挙権が二重に与えられる、というのは、ごくふつうに考えて、確かに民主主義の大原則に違反しそうに思えるものだ。

 実は、9月の紫波町の講演会で、短い時間の質疑に挙手して、一般的には、隣接した人の住める、現に人の住んでいる自治体、多数の住民の避難先となっている自治体と合併することがまずは有りそうな手法ではないのかという趣旨の質問を行った。20年、30年経過し、家族も子どもの世代に変わるという中で、二重の町は、どう転換していくのか?移住後の町に自然に溶け込んでいくというのがあり得べき姿なのではないか?

 これは、今井氏に反論しようとしたものではなく、氏の「移動する村」、「二重の住民登録」という主張は、現在、一般論としての当然の流れ、まずはふつうに選択される手法と想定される隣接自治体との合併という方法に対して、その問題点を指摘し、より良き解決法としての「移動する村」、「二重の住民登録」という方法を提案なさっているのだという道筋を明らかにしたかったところである。

 そのときの今井氏の説明は、現実に避難中の自治体、その住民の不都合、苦しみ、矛盾、学問はそれらの解決策を示す必要があるのだという趣旨だったと思う。

 そして、具体的なことは、もちろん、この本にも記載してあることである。私の質問も、すでに想定されて、書きこんでおられる。

 西尾先生の一般的な原則論に対しても、今回の場合には、これこれこうだという言わば特別な事態についてこうなのだ、こういう先例があるということを述べられている。

 そのあたりの具体的な議論の内容は、ここで紹介するのでなく、実際、この著書に当たることを勧めたい。

 現在の問題点に、現在の福島の市民に寄り添うだけでなく、今井氏は、学者として当然のことながら学説もあたり、説得的な議論を展開なさっている。

 自治体とは何か、という問題について、現在のアクチュアルな問題に対する歴史も踏まえたソリューションの提案であると同時に、法学、行政学的な観点からも大きな問題提起を行っている好著である、と言って過言でないものと思う。


最新の画像もっと見る

コメントを投稿