ぼくは行かない どこへも
ボヘミアンのようには…
気仙沼在住の千田基嗣の詩とエッセイ、読書の記録を随時掲載します。

原田勇男 東日本大震災以後の海辺を歩く  未来社

2015-03-21 08:14:45 | エッセイ

 サブタイトルは、みちのくからの声。

 著者は詩人、宮城県詩人会の会長であり、長く編集者を務められた。

 震災後、被災地に足を運び、「現代詩手帖」や雑誌「未来」などに書いたエッセイをまとめたもの。

 ご自身、怪我こそされなかったようだが、ご自宅や職場も「さまざまな物が宙を飛び、床に叩きつけられ」、「停電のため夜は小さな懐中電灯一本で過ごした。食料は二日目まで食べ残しのフランスパンと野菜ジュースだけだった」(7~8ページ)という被災者である著者が自らの目で見た被災地の状況をつぶさに報告する。

 

 「東日本大震災から約四年が過ぎた。当初は甚大な被害に遭遇し言葉を失ったが、亡くなった方々や被災した人々の思いを伝えるために詩やエッセイを書き続けた。…(中略)…母の実家のある岩手で育ち、仙台で生きている私は、東北の地からさまざまな事象を見据え発言してきた。」(あとがき)

 

 雑誌「未来」に2013年11月号から1年間連載した「みちのくからの声」のなかで、「民衆詩派の詩人白鳥省吾の末裔」と題して、2014年の第15回白鳥省吾賞のことを紹介されているが、実は、私の詩「船」が取り上げられている。第2席にあたる優秀賞をいただいた作品である。

 2ページ余にわたって詩の全編を紹介した後、解説されている。長くなるが、引用させていただく。

 

 「第一連では、陸地に取り残されて腐食が進む巨大漁船の姿が描かれている。私も震災から半年後に鹿折地区を訪れ、この船と対面した。そのときの圧倒的な存在感が忘れられない。この巨体が津波に流されて、陸地の建造物や逃げまどう人々をなぎ倒したのも事実だ。第二連では、巨大な魚の群れを追い、大漁を欲しいままにした過去の栄光を浮かび上がらせる。気仙沼の漁場は「さんま」の漁獲高日本一を誇り、シーズンになると全国から漁船が集結して大漁景気を謳歌した。

第三連と第四連の前半は、豊かな海の幸で港を潤した漁船の活躍と魚の生命を奪い人間の生命を養う事実を表現している。しかし、第四連の後半と第五連は、津波で多くの生命が失われ街が立ち上がろうとするときに、被災地に居座る荒廃した巨大漁船に異物感、違和感を覚える被災地の人々の思いがこめられている。地元民の複雑な心境が伺える。最終連は震災から残った船に鎮魂の祈りを捧げようと結んでいる。「言祝げ」の言祝ぐとは、お祝いをのべる喜びの言葉を言うという意味だが、ここでは「現存する形のある記憶として」、後世に震災の凄まじさと教訓を伝える遺構の価値があると告げたかったのだろう。しかし、その船も解体され消えてしまった……。

一読して強烈な印象を受けた。地元の人間でなければ書けない素材だと感じた。詩の表現から言えば無骨で言葉が固く必ずしも修辞的に優れた作品とは言えないが、破船に真っ向から対峙し全身全霊で書いている点を評価した。津波の破壊力や被災者の過酷な現実には触れず「船」だけに焦点を当てた作品の切り口も光った。」(133ページ)

 

 最上級のお誉めをいただいたものと感謝せざるを得ない。

 後半は、大正から昭和にかけて民衆詩派の中心として活躍した白鳥省吾の紹介である。宮城県栗原郡築館町(現栗原市)出身の高名な詩人。

 私の仕事場である気仙沼図書館の一室に、省吾自筆の書が額装して飾ってある。最近発見したのだが、館長室の棚の中に、何枚も、自筆の色紙が保存してあった。

 図書館の初代専任館長・菅野青顔以来の館長室には、宮沢賢治の「注文の多い料理店」の大正年間の初版本など、貴重な資料が数多く残されており、私などは恐ろしくてあまり見ないようにしているのだが、先日、二代目館長の荒木英夫氏がお出での際、何か探すということで棚のなかを開けてみたところ、詳細は省略するが、恐ろしげな貴重な資料のなかに、省吾の色紙も入っていた。

 恐らく、菅野青顔と白鳥省吾とは親交があったものとは推察される。荒木英夫元館長に伺えば分かるはずのところで、近いうちに聴いておこうと思っている。

 同じ「未来」の連載で、2012年の宮城県高等学校文芸作品コンクール詩部門で最優秀賞に選ばれた、石巻西高校3年生片平侑佳さんの詩「潮の匂いは。」が紹介されている。

 「潮の匂いは世界の終わりを連れてきた。」で始まる散文詩。原田さんは、この詩も全文を紹介されているが、第二連は「潮の匂いは少し大人の僕を連れてきた。」、同じく第三連は「潮の匂いは一人の世界を連れてきた。」ではじまる散文詩形。そのあとに行分けの部分が続く。

 

 「ここには震災時のステレオタイプな描写や表面的なヒューマニズムの押しつけがない。…(中略)…「潮の匂い」という感覚的な現象から、故郷の変貌、友の死、被災者の複雑な心の内側を散文詩のスタイルで表現している。…(中略)…震災後に感じた孤独と不安が濃密に立ち込めているが、そのまなざしは冷静で客観的に状況を見つめている。後半の行分けの詞句も「潮の匂い」を媒介にした複眼的な考え方を示している。」(149ページ)

 

 片平さんは、現在、宮城学院女子大学の学生であるとのこと。原田さんにならって、私も、これは優れた作品であると述べておきたい。

 「後の世に継承する東日本大震災の記録」の節では、リアス・アーク美術館の常設展示「東日本大震災の記録と津波の災害史」のことが紹介される。

 

 「リアス・アーク美術館は震災資料を常設展示する意味について、『美術館が震災資料を展示することで、それらの資料が美術関係者、アーティストの目に触れる機会が生まれる。多くのアーティストがこの常設展示を素材とし、時代に即した表現へと昇華させてくれることを願っている』としている。展示内容、図録とも一級品の記録資料だと思った。ぜひ鑑賞を薦めたい。」(180ページ)

 

 ここもまた、原田さんと、まったく同じことを述べたいところである。

 ところで、上の私の詩の解説のところで、気仙沼が「さんまの漁獲高日本一」とある。私がものごころついた当時には、確かにそういうこともあった記憶があるが、このところは、常に北海道根室市の花咲漁港が断然の日本一で、気仙沼は、女川や大船渡などと争いながら、ときどき本州一の年もある、ということである。

 

※「船」

http://blog.goo.ne.jp/moto-c/e/240933e21db49909982d437ebb0dd10e

 


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