副題に Ten Selected Love Stories 十篇の選ばれた恋物語とある。
村上春樹は、ご存知の通り、アメリカの小説のすぐれた読み手であり、翻訳家である。ニューヨークで毎週発行されている雑誌「ニューヨーカー」を定期購読しているという。目を通していると「多くの場合、質の高い最新の短編小説と出会うことができるから。」(訳者あとがき 367ページ)
もちろん、村上は、楽しみとして読んでいるわけだが、そこで出会うすぐれた短編をまとめて翻訳すれば、こうして、一冊の本にまとめることができる。小説を書くというかれ本来の仕事の息抜きが、また、仕事になってしまう。なんといううらやましいこと。
これは、休息が休息にならない、という地獄のような連鎖、というわけではなくて、良くできた英語の短編を読むことは、実際息抜きになるのだろうし、それを少しづつコツコツと訳していく作業もまた楽しいものなのだろう。何かのエッセイで、確か、そんなことを書いていた。
ここに訳出された九篇の短編は、そんなふうに、ニューヨーカーを読むうちに出会った作品がコアになって、集められたもの。うち、一遍は、盟友の翻訳家・柴田元幸氏からの推薦によると、あとがきには書いてある。氏は、村上の相談相手であり、アドバイザーである。言ってみれば、大学院の指導教授のようなものなのではないだろうか、とぼくは思っている。大作家村上春樹に対して、これはちょっと失礼かな。
ま、それはさておき、読者としては、「世の中には初心者向けの素直で素朴な恋愛もあれば、上級者向けの屈折した恋愛もある。だとしたら初心者向けの恋愛小説があり、上級者向けの恋愛があって当然ではないか。」(369ページ)「というわけで、結果的にいろんな種類の、いろんなレベルのラブ・ストリーが揃った。」(370ページ)という、あとがきの村上の言葉そのとおりに、選りに選った、多様な恋愛小説を楽しめばいい、ということになる。
で、翻訳が九編で、10-9の、残り一編は何かというと、村上春樹本人の短編「恋するザムザ」。「ザムザ」とは、カフカの名作「変身」の主人公であることは言うまでもない。
朝目を覚ましたら、ベッドの上で虫に変身していたというあの「グレゴール・ザムザ」である。これが、恋愛小説になるのか、と疑義を呈しつつ読み進めることになる。まさしく、最初のうちは、疑問符だらけ、であった。しかし、これが、まあ、まさしくひとつのラブ・ストーリーとなってしまう。見事です。
週末を、ニューヨーク風の洒落た短編小説を読んで過ごしたいというご仁には、まさにおすすめ、最適の小道具となること請け合いである。小道具ってことはないか、ひとに見せるわけでもない。もちろん、自分でドリップした一杯のコーヒーは、必須である。自宅の居間で読む場合には。
ちなみに、ぼくは、この本の後半の一部を、田中前のアンカーコーヒーで、ブレンド「Ⅰ‘m home」を飲みながら読んだ。
美味しいコーヒーを飲みながら、村上春樹の訳した新しめのアメリカ短編小説を読む、という理想的な休日の過ごし方であった。
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