
気仙沼高校時代の恩師猪股信夫先生から、昨年夏に引き続き、霧笛のメンバーとともに今年のお盆にもお会いすることができたが、その前に、お送りしていた湾Ⅲの感想を書き送っていただいた。
「あの大震災から5年、すっかり変わった気仙沼の現状と基嗣君の心情がしっかり伝わってきます。実際に経験した大惨事が詩の作り・詩の読みに影響を及ぼすことがよく理解できます。『手紙』にある「無理なく溢れ出てくるような/地底からこんこんとわき出る泉のような/透き通った言葉」が詩集全体を貫いていて、一編一編の詩中の言葉が流れとなって気仙沼湾に注がれ、言葉が波打つその湾は実は基嗣君の年輪、人生、人格そのものであるようにも思います。『海は大きい』を読んではフランスの象徴詩人を、『夏草』では芭蕉を、『ながったごとのように』では中也を思い出したのは私の誤読でしょうか。『以前と依然』は基嗣君のエスプリが充分発揮された作品で、私自身の生き方が問われているような気がしました。『男たちは酒を飲み』・『炉辺の語りは』は昔の気高の職員室を思い出させます。中央にあった囲炉裏を囲んで魚を焼き酒を飲みながら熱い議論を交わしたのはまさに「半世紀前の日々の暮らし」で「えんえんと えんえんと」語り合ったものでした。常山君のスケッチも実に今回の詩集にマッチしていて、懐かしい思いが込みあげ古い光景がくっきりと立ちあがってきます。
三月中旬上京の折に、O君(基嗣君の数年先輩?)を訪ね昔話をしたが、基嗣君の詩作を知っていて、「哲学的な思考や読書量に圧倒される」と彼が語っていたことを書き添えておきます。
詩歌を愛し詩歌を読むことは己の日常や経験を総動員して読み込み理解する行為だとするならば、基嗣君の「湾Ⅲ」は私への素晴らしいプレゼントでした。どうも有難うございます。」
こちらこそ、有難いことである。
ちなみに、「海は大きい」は、ランボーの「永遠」の「太陽と一緒に行ってしまった海」(ないしは、「溶けてしまった海」というバージョンもある。)という一節を使っているし、「夏草」は、当然、「つはものどもが夢の跡」が念頭にあるし、「ながったごどのように」(「か」と「こ」と「と」に濁点がついていることに留意)では、方言を使うことで、ある種感情的な作品になっており、中也を思い出すなどと言っていただけるのは光栄でしかないが、先生の読みは、的を射たものというほかはない。
それと、昔の気仙沼高校は、われわれ生徒にとっても一個の解放区であったと言っていいが、当時の先生方にとっても、今にして思えば30歳程度までの若者たちであるが、解放区であったと言って間違いないようである。
大林美智子さんは、宮城県詩人会の仲間であるが、今回、日本現代詩人会に入会するにあたって、推薦の労を取っていただいた。お送りしていた「湾Ⅲ」を手にとっていただいたとのことで、ハガキにびっしりと書き込んでいただいた。
「やっとまとまった時間を得、一気に拝読させていただきました。後半にいくにつれて心に残る作品が増えてきました。絵も素敵です。「置く」「なかったことのように」「炉辺の…」「笑うクジラ」など力強くまた新鮮に胸に迫ってきました。」
冒頭から中盤、そして最後尾へと、作品の配列は気を使ったところなので、「後半にいくにつれて…」と言っていただけるのは、有難いことである。
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