そもそも、国家神道に適合する神社のほうが少なかった。伊勢神宮ですら国家神道にあわせて人為的に改変されたのですから、他は推して知るべし。
あえて少し簡略な、強い言い方をすると、こうなる。「神道の真の敵は国家神道」。
当然ですが、国家神道の成立によって破壊されたのは仏教の遺産だけではない。維新後、一旦神社の数は増えた。しかし、日露戦争後の神社統廃合によって六万ないし八万もの由緒ある社が破壊され、祭式の画一化によって多様な習俗が失われました。この喪失の危機感から柳田らの民俗学が出てくる。
日本列島に住む人間はみな等しく「日本人」なのだ、という「新思想」を定着させ、藩どうしの小競り合いをやめさせるのに苦慮した時代というのは高々まだ120年ほど前のこと。つまり国内を一本化し満蒙権益線などに進出してゆこうといった辺りの創作物に「回帰」しようと言っているのに過ぎません。
「日本人」という考え方が日本列島に住む一般の人に定着するにあたっては国民皆兵と日清・日露両戦争の戦勝が一定関係するように思っている。曽祖父は日清戦争前に在シカゴで領事を務めていたが、当時はまだ何藩の出身か?といったことがリアルな利害を大きく左右していたとの事。
ある種の論調で目にする「日本に帰る」とか「取り戻す」とか言うのは大方2台前くらい、つまり50-100年前、祖父母辺りの頃合を無批判に自分にとっての「伝統」と思い込むセンチメントを基調としている。一般視聴者などターゲットとする場合に一番効率のよいノスタルジーで、根拠は一切存在しない
先ほどのツイートで触れた日露戦争後の神社の統廃合および破壊について、あれは鎮守の森を資材として搾取するため、という証言あるいは指摘がありました。ありがとうございます。確かにそうでもあったのでしょう。それは本来の神道にあったはずの樹木信仰ひいては山岳信仰とは相容れない筈です。
いま、リツイートした、佐々木中@AtaruSasakiと、Ken ITO 伊東 乾@itokensteinとのツイートは、まさしくいま、お互い無関係につぶやかれたんだろうけど、シンクロする内容だったな。日本という国のかたちについて、明治以降の、というところ。
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