平成25年11月25日付け発行詩誌霧笛28号の編集後記
編集の残りページに合わせて書くので、今回は、若干長い。
〈編集後記〉
◆前々号の日野修さん、前号の畠山幸さんに続き、小山圭璋さんがが参加。後九条のみちびき地蔵堂の堂守、ということになるのだろうか。小野寺せつえさんが後九条の仮設住宅住まいで、ご近所、彼女の紹介である。同人名簿のことで一度電話でお話ししたが、まだ、お会いしていない。何歳の方か、地元の方か、あるいは、旅の方であるのか。また電話して聞けばわかることではあるが、近々お会いできる機会はある。その時を楽しみにしている。
◆遊人、洋介くん以降、五人の新人ということになる。もちろん、創刊以来、多くの方々が同人となり、脱退された。他に転居したり、さまざまの理由で。しかし、このところの新規加入の続く有様は例のないことだ。実は、次号には、もう一方参加の予定もある。
当初から、地域における詩の広場として機能したいとは言ってきた。同じ理想を共有する固い結社ではなく、師匠がいるわけでもない。作品の傾向は雑多ばらばらで、一様であるなどとは言えない。しかし継続することで、創刊当時とは何かが変わってきた。熟成、ではない。そしてもちろん成熟などとは決して言えない。ただ、震災ということが、参加を促す何かの契機となった可能性はある。
若造どもが勝手に始めた、とるに足らないサークル活動が、長く続くうちに少しづつ位置を定めてきた、とでもいうような変化。日野さんや、幸さんのように、気仙沼を離れて生活している方が、この霧笛を、故郷の灯台のように感じて下さった。そういう懐かしい存在と思って下さる。そうか、そもそも霧笛は、霧の深い日に、灯台が灯りを点す代わりに鳴らすものだ。盛岡の地に移った洋介くんにとってもそういう存在となったのか。そして、遊人にとっても。
◆市民文化祭の参加事業として、十月二十七日(日)午前十時から、気仙沼市民会館会議室において、詩の朗読会を開催した。参加は、及川良子、西城健一、藤村洋介、千田基嗣、中田紀子、仙台から日野修。仕事等で参加できなかったのは、小野寺正典、小野寺せつえ、照井由紀子、鈴木東吉、そして、仙台の畠山幸、東京の千田遊人と葛巻の川戸富之。小松ゆり子さんは裏方で参加。観客は少なかったが、それぞれが、それぞれの味わいで朗読に取り組んだ。東吉先生は市民会館の館長なので、館内にはいたのだが仕事優先ということで、参加とならない。
◆前号の表紙は、常山俊明による鹿折唐桑駅前の第一八共徳丸だった。フェイスブックに投稿していたスケッチを、ひとつの問題提起たりうるだろうと使用をお願いした。いつもはどんな絵と注文をつけることはないのだが。しかし、前号の発行時には、もう解体が確定し、その後、作業が開始され、すでに完全に終わった。たんたんと、無事に。いまは、鹿折唐桑駅の跡地に行っても何もない。がらんとした空き地だ。しかし、今回も同人は、触発されたのか、共徳丸のこと、そして、震災のことを書いている。
◆二六号の後記で、福島県須賀川市の川村龍俊さんからのお便りを紹介したが、氏の紹介に間違いがあった。ご本人から指摘があった。しかし、詩人であるという点、詩の愛好家とせよとのことだが、実際に、詩を書いておられるのであえて訂正はしない。須賀川市を二本松市と間違えたことについては、ついうっかりのことだが、申し開きできない。申し訳ないことでした。ちなみに私のブログに載せているものは、修正済みです。
しかし、蛇足になるが、福島県内の他の各市の位置は分かるのに、中通りの二本松と須賀川だけは定かでなかった。迂闊なことである。
◆八月三一日(土)に予定された第三回詩のボクシング気仙沼大会は、参加者が少なく中止となった。僕自身は、仕事の出番であったが、調整しておくべきであったかと悔まれる。一回目は及川良子さん、昨年は藤村洋介くんが優勝して全国大会に出場した。それぞれ貴重な体験となったはずだ。日野修さんは、以前全国大会に出場の経験があり、震災後の気仙沼大会、大船渡大会の開催にご尽力なさった。残念に思われているに違いない。
◆常山の今回の表紙は、若き踊り手だが、その背景は気仙沼の魚市場だろうか。湾をはさんだ対岸の大浦漁港の岸壁で踊っているのだろうか。踊り手の陰に鰹漁船の舳先が少しだけ見える。(千田基嗣)
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表紙・常山俊明(AtoZ)
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