だれかが山田詠美の小説を珠玉の短編と評しているわけではなくて、これ自体が、短編小説のタイトルであり、短編集である書物のタイトルともなっている。なっていると言うよりは、山田詠美が自ら名付けたものだ。
えらい。
川端康成文学賞を得ているのだから、正真正銘の名作である。
帯の惹句は、「まやかしの珠玉、最高の顰蹙をあなたに」。
まあまあ、そういうことではある。つまり、「まやかし」なのである。
いや、こういう惹句は、編集者がつけるものだろうから、作家が自分では真面目に「珠玉」と評価しているのに、編集者がそれは「まやかし」とけなしている、ということなのかもしれない。
なんてね。
「何故なら、彼女が書いた小説の題名の横に、こんな惹句があったからだ。珠玉の短編――健気に身を寄せ合う兄と妹の運命やいかに……。/それは控え目な調子で題名に寄り添った一行であったけれども、漱子を混乱に突き落とすに充分であった。」(30ページ)
自分では、珠玉などとは一つも思っていない、珠玉などという言葉とはまったく正反対の小説しか書いていないと思っているのに、自分の作品掲載の雑誌の目次を開いたとたんに、タイトルの脇にその文字が目に飛び込んできたのだという。
「いったい、なにを考えているんだ、怠慢にも程がある!と彼女は、担当編集者の玉本の顔を思い浮かべて歯噛みするのだった。」(30ページ)
と、まあ、やはり、担当編集者のせいである。
というようなことから、なんやかんや考えているうちに、珠玉の短編のようなものを書いてみようかという気になって、書いてみたというようないきさつを描いた短編小説である。
「珠玉の短編」というタイトルをいかに外した内容を書こうかと奮闘した挙句の、いつものように名文オンパレードの珠玉の短編である。ただ、いわゆる「珠玉の短編」のイメージからは遠く離れた作品であることにもまちがいはない。
もちろん、山田詠美のこれまでの短編集には、珠玉の短編が、それこそ、山のように詰まっており、珠玉の短編のオンパレードだと言って過言でない。
しかし、今回の短編集は、いわゆる「珠玉の短編」というテイストの作品は一つもない、かもしれないな。
ところで、最後の作品が、「100万回殺したいハニー、スイート ダーリン」というもので、百万回を100万回と表記していることからも明らかなように、佐野洋子の名作絵本「100万回生きたねこ」を素材に使って書いたものだ。
このあいだ7月に、図書館行事の哲学カフェで、素材に取り上げたばかりの絵本である。
哲学カフェでは、その次の8月には、なかがわちひろ作「おまじないつかい」を取り上げたところだが、別につい最近、吉田秋生のマンガ「海街ダイアリー」とか「ラヴァーズ・キス」を読んで、山田詠美と並べて、この3人、すごく似ている、と思ったところだった。
なんというか、文体が似ているところがある。登場人物の会話の処理の仕方、だろうか。
少女マンガで、本筋と少し離れたところで、フキダシを使わずに交わされる他愛のない会話。なかがわちひろも絵本のなかで多用するし、山田詠美も会話の部分で、多用する、というよりも、地の文で、そんな感じの描写をするのだろうか。
とかまあ、いつものように勝手なことを書き綴ってしまったが、山田詠美の小説を読む時間というのは、私の人生の中での悦楽の時間である、というのは間違いのないところである。こういう時間は、毎日、ということではいけない。年間の中で、一度か、二度、ほんとうに少しだけの時間でいい。そうでないと溺れてしまう。耽溺する、ということになってしまう。
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