ここで、私が述べることは、地方自治に関わる論者にとっては、議論の自明の前提であり、あれやこれやと惑うような問題ではないのだろう。「自由な自立した個人」の絶対視はもはや時代遅れであり、可能性は「共同体」の復権にしかないと。だが、私はいつまでも「自由な自立した個人」にこだわり、ぐずぐずと思い悩んでいる。
作家・批評家の東浩紀は、「思想地図beta」の第2号(9月1日)巻頭言において、「震災でぼくたちはばらばらになってしまった」と語った。「なぜあるひとが海際にいて別のひとはいなかったのか、…選択にはいかなる意味もない。」「意味を失い、物語を失い、確率的な存在に変えられてしまった」。
しかし、東は、震災後の今、はじめてそうなのではないと言う。「震災はそれを明らかにしただけだ。」
では、いつからなのか。
デカルト以来なのか。
17世紀フランスの哲学者デカルトは「我思う故に我あり」と語った近代合理主義の祖。彼の唱えた明晰判明な理性によって、人間は慣習に縛られた無智蒙昧を脱し自由を獲得した。科学を発展させ、文明が進展し、先進諸国においては豊かな生活を実現した。その実現したはずの「豊かな生活」とはなんであったのか、が今問われているのではないか。
それは、日本においては、明治維新以降であるかもしれず、終戦後、あるいは、高度成長期以降かもしれない。
この大きな文明論についての消息は、「臨床の知」を提唱した哲学者中村雄二郎や、人類・宗教学者の中沢新一などお読みいただきたいが、現在の自由な豊かな生活とは、住み慣れた、お互いに助け合う「共同体」の喪失でしかなかったのか、という論点が、私たち(殊に、自治の現場にいる職員)に突き付けられている。
「緩慢な死を前にしたこの国において抽象的な思想の言葉になにができるのか、ぼくにはいっこうにその答えはない。」フランス現代思想から出発した東浩紀の解答の無い自問を、私もまた共有している。
しかし、また、東の「にもかかわらず…少しは「新しい連帯」の…新しい意味の可能性が拡がるのではないかと…信じたい」という思いもまた共有している。
そこで、内山節「共同体の基礎理論 自然と人間の基層から」(農文協・シリーズ地域の再生2)である。
「明治以降の日本は欧米に追いつき、追い越すことをつねに目標においてきた。」日本の「近代化とは…第一に国民国家の形成があった。…それまでの地域の連合体…を否定し、人々を国民という個人に変え」た。「第二に市民社会の形成がある。個人を基礎とする社会の創造である。第三に資本主義的な市場経済の形成があった。さらに…科学的であることや合理的であることに依存する精神を確立する必要があったし、歴史は進歩しつづけているのだという「共同幻想」を定着させる必要もあった。」(同書15ページ)
古い封建的な共同体の桎梏を脱した自由な個人が、生き生きと生活を謳歌する時代が来る。私もまた、若い頃の内山節と同様、明るい未来への理想を抱いてきた。「共同体は否定の対象であった。」(同書1ページ)
しかし、その理想は幻想だった。
いや、今でも私は、「共同体」にどこか馴染めないものを持ちつづけている。自由な自立した個人として、この国の中でいっぱしのポジションを得て、日々の暮らしも成り立つような人間であることをどこかで熱望している。
気仙沼という狭い地域にどこか収まりきれない。充足しない。職場にも、市民活動のサークルにも、まして、地区の自治会にも。
「社会が近代化をめざし、…個人を基調としてできた市民社会に未来の可能性を感じているときは、共同体は解体すべき対象であった。…共同体は封建的なもの、個人の自由を奪うものと見えた。」(28ページ)
私は、未だそういう時代を引きずっている。
しかし、もちろん、そうでありながら、現在の社会の在り様はいやおうなく目に見える。
「資本主義、市民社会、国民国家が三位一体となって展開してきた私たちの時代は…自由に開放感に満ちた時代」ではなく、「個人の不安が増しながら行き詰って行く時代」となった…「バラバラになった個人の社会が、不安な…生命力を失った社会であることも、もはや否定しようがな」い。(164ページ)
ここで、「共同体」が再び見いだされる。この当然の成り行きは、否定し得べくもない。
私たちは、あの重苦しい、前時代的なしがらみだらけの「共同体」にまた戻らなければならないのだろうか?
内山節は、そうではないのだという。
「地域共同体は、一般にひとつの地域社会にその地域のメンバーが…統合され」ていると考えられているが、「上野村に暮らしていると…村のなか自身にさまざまな共同体が併存している。」(70ページ)
「この村は(養蚕と紙漉という)商品経済のなかで生きてきたのであり、自給自足的な経済圏ではない。…村の外とのつながりを大事にするという気質をもっていた。」(69ページ)
「共同体は二重概念」であり「小さな共同体がたくさんある状態が、また共同体だ」。(76ページ)
共同体は、狭苦しい息詰まるばかりの空間ではない、これからの時代の新しい可能性を持つ場所なのだという。一人の人間が複数の共同体に重ねて所属することによって、ばらばらの個人というのとは全く違いつつ、がんじがらめの束縛とも全く違う自由さを獲得しうるのであると。中にいるからこそ得られる安らいだ幸福な自由がある。
「(集落や村といった)共同体の中にいると…自分の存在と共同体が一体になっているから、共同体への了解と自己の存在への了解が同じこととして感じられる。」(82ページ)
内山節の描く「共同体」は美しい。ある意味では美しすぎる。現実の地方の村は、地方都市は、その美しさに辿りつけるのだろうか?私はここにいたっても未だ途方に暮れている。途方に暮れながらも、美しい理想を選びたい、と念じている。
さて、内山節とは、全く違う視点から現在の地域のあり方を捉えたものとして、社会学を専攻する東大大学院生・開沼博の「「フクシマ」論 原子力ムラはなぜ生まれたのか」(青土社)という労作がある。これもお勧めしておきたい。
作家・批評家の東浩紀は、「思想地図beta」の第2号(9月1日)巻頭言において、「震災でぼくたちはばらばらになってしまった」と語った。「なぜあるひとが海際にいて別のひとはいなかったのか、…選択にはいかなる意味もない。」「意味を失い、物語を失い、確率的な存在に変えられてしまった」。
しかし、東は、震災後の今、はじめてそうなのではないと言う。「震災はそれを明らかにしただけだ。」
では、いつからなのか。
デカルト以来なのか。
17世紀フランスの哲学者デカルトは「我思う故に我あり」と語った近代合理主義の祖。彼の唱えた明晰判明な理性によって、人間は慣習に縛られた無智蒙昧を脱し自由を獲得した。科学を発展させ、文明が進展し、先進諸国においては豊かな生活を実現した。その実現したはずの「豊かな生活」とはなんであったのか、が今問われているのではないか。
それは、日本においては、明治維新以降であるかもしれず、終戦後、あるいは、高度成長期以降かもしれない。
この大きな文明論についての消息は、「臨床の知」を提唱した哲学者中村雄二郎や、人類・宗教学者の中沢新一などお読みいただきたいが、現在の自由な豊かな生活とは、住み慣れた、お互いに助け合う「共同体」の喪失でしかなかったのか、という論点が、私たち(殊に、自治の現場にいる職員)に突き付けられている。
「緩慢な死を前にしたこの国において抽象的な思想の言葉になにができるのか、ぼくにはいっこうにその答えはない。」フランス現代思想から出発した東浩紀の解答の無い自問を、私もまた共有している。
しかし、また、東の「にもかかわらず…少しは「新しい連帯」の…新しい意味の可能性が拡がるのではないかと…信じたい」という思いもまた共有している。
そこで、内山節「共同体の基礎理論 自然と人間の基層から」(農文協・シリーズ地域の再生2)である。
「明治以降の日本は欧米に追いつき、追い越すことをつねに目標においてきた。」日本の「近代化とは…第一に国民国家の形成があった。…それまでの地域の連合体…を否定し、人々を国民という個人に変え」た。「第二に市民社会の形成がある。個人を基礎とする社会の創造である。第三に資本主義的な市場経済の形成があった。さらに…科学的であることや合理的であることに依存する精神を確立する必要があったし、歴史は進歩しつづけているのだという「共同幻想」を定着させる必要もあった。」(同書15ページ)
古い封建的な共同体の桎梏を脱した自由な個人が、生き生きと生活を謳歌する時代が来る。私もまた、若い頃の内山節と同様、明るい未来への理想を抱いてきた。「共同体は否定の対象であった。」(同書1ページ)
しかし、その理想は幻想だった。
いや、今でも私は、「共同体」にどこか馴染めないものを持ちつづけている。自由な自立した個人として、この国の中でいっぱしのポジションを得て、日々の暮らしも成り立つような人間であることをどこかで熱望している。
気仙沼という狭い地域にどこか収まりきれない。充足しない。職場にも、市民活動のサークルにも、まして、地区の自治会にも。
「社会が近代化をめざし、…個人を基調としてできた市民社会に未来の可能性を感じているときは、共同体は解体すべき対象であった。…共同体は封建的なもの、個人の自由を奪うものと見えた。」(28ページ)
私は、未だそういう時代を引きずっている。
しかし、もちろん、そうでありながら、現在の社会の在り様はいやおうなく目に見える。
「資本主義、市民社会、国民国家が三位一体となって展開してきた私たちの時代は…自由に開放感に満ちた時代」ではなく、「個人の不安が増しながら行き詰って行く時代」となった…「バラバラになった個人の社会が、不安な…生命力を失った社会であることも、もはや否定しようがな」い。(164ページ)
ここで、「共同体」が再び見いだされる。この当然の成り行きは、否定し得べくもない。
私たちは、あの重苦しい、前時代的なしがらみだらけの「共同体」にまた戻らなければならないのだろうか?
内山節は、そうではないのだという。
「地域共同体は、一般にひとつの地域社会にその地域のメンバーが…統合され」ていると考えられているが、「上野村に暮らしていると…村のなか自身にさまざまな共同体が併存している。」(70ページ)
「この村は(養蚕と紙漉という)商品経済のなかで生きてきたのであり、自給自足的な経済圏ではない。…村の外とのつながりを大事にするという気質をもっていた。」(69ページ)
「共同体は二重概念」であり「小さな共同体がたくさんある状態が、また共同体だ」。(76ページ)
共同体は、狭苦しい息詰まるばかりの空間ではない、これからの時代の新しい可能性を持つ場所なのだという。一人の人間が複数の共同体に重ねて所属することによって、ばらばらの個人というのとは全く違いつつ、がんじがらめの束縛とも全く違う自由さを獲得しうるのであると。中にいるからこそ得られる安らいだ幸福な自由がある。
「(集落や村といった)共同体の中にいると…自分の存在と共同体が一体になっているから、共同体への了解と自己の存在への了解が同じこととして感じられる。」(82ページ)
内山節の描く「共同体」は美しい。ある意味では美しすぎる。現実の地方の村は、地方都市は、その美しさに辿りつけるのだろうか?私はここにいたっても未だ途方に暮れている。途方に暮れながらも、美しい理想を選びたい、と念じている。
さて、内山節とは、全く違う視点から現在の地域のあり方を捉えたものとして、社会学を専攻する東大大学院生・開沼博の「「フクシマ」論 原子力ムラはなぜ生まれたのか」(青土社)という労作がある。これもお勧めしておきたい。
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