
(2013.11.02訪問)
祇園精舎の鐘の声 諸行無常の響きあり……。
境内の「諸行無常の鐘」の憂いを含んだ音色は、聞くすべはありませんが、大原の西、山懐にある尼寺に残
る建礼門院の孤独で悲しい終の住処を、人々がワンサカ来る前に訪ねてみようと、電車とバスを乗り継いで
やってまいりました。然し、赤く染まる前よりはいくらかましと云う程度、大原はやはり人気なんですネ。
これからは建礼門院さんもそうとう迷惑でしょう。
▼参道石段。

[ 寂光院 ]
●山号 清香山 (せいかざん)
●寺号 玉泉寺 寂光院 (じゃっこういん)
●宗派 天台宗尼寺
●開創 推古二年 (594年)
●開山 聖徳太子(しょうとくたいし)
●本尊 六万体地蔵尊
▲京都市左京区大原草生町676 TEL.075-744-3341
▲HP http://www.jakkoin.jp/index.html
▲拝観料 600円 御朱印300円
▲京都駅前から京都バス17番・18番 C3乗り場から
京阪電車「出町柳駅」前から京都バス10番・16番・17番
市営地下鉄「国際会館駅」 から京都バス19番
いずれも大原終点で下車、徒歩15分
寂光院縁起 (寂光院HPから抄出)
推古2(594)年に、聖徳太子が御父用明天皇の菩提を弔うために建立されたと伝えられる。
本尊は、聖徳太子御作と伝えられる六万体地蔵尊であった。鎌倉時代に制作された旧本尊 (重文) は、平成十
二年 (2000年) 5月9日未明に発生した放火により焼損したため、美術院によって修復され収蔵庫に安置。現
在は美術院によって模刻された本尊地蔵菩薩像が本堂に安置されている。
寂光院初代住持は聖徳太子の御乳人であった玉照姫日本仏教最初の三比丘尼 (慧善比丘尼) の御一人で、その
後、代々高貴な家門の姫君らが住持となり法燈を守り続けてきたと伝えられるが、史料が湮滅して名前は伝
わらない。寂光院では阿波内侍(あわのないじ)を第二代と位置づけている。永万元年 (1165年) に入寺し、
証道比丘尼と称し、建礼門院徳子に仕え、「大原女」のモデルとされている。
第三代建礼門院徳子(平清盛息女、高倉天皇中宮、安徳天皇母)は、文治元年 (1185年) 入寺し真如覚比丘尼と
称した。源平合戦に敗れ滅亡した平家一門と、我が子安徳天皇の菩提を弔いながら、この地に閑居し終生を
過ごされた。
▼参道上りきったすぐ、尼寺に相応しい檜皮葺きの優しい山門です。

▼正面に本堂が見えます。

▼山門を入ると左手、汀の池。

池水に汀の桜散り敷きて波の花こそ盛なりけれ
後白河法皇は忍び御幸で寂光院の建礼門院を訪ねたときの一首。
汀池の浮き草が波に揺れ池の中島の松にかかっている藤がうら紫に咲いている色、青葉まじりの遅咲きの桜
が咲き、岸辺には山吹が咲き乱れる様子を詠んだもので、この時の汀の池と桜は今も本堂前に平家物語当時
そのままをしのぶことができる。 (寂光院HPから抄出)
▼姫子松。

姫子松は松の葉が5本つく五葉松のこと。
樹高15メートル、樹齢1000年の名木も本堂火災で被災、建礼門院の生き様を静かに眺めていた姫小松は倒
木の危険があるため伐採され、現在はご神木としてお祀りしています。
▼鐘楼。江戸期建立。梵鐘は「諸行無常の鐘」と称されているそうです。

▼書院。

▼雪見灯籠と小さな流れ。本堂右手前にある置型の鉄製灯籠。豊臣秀頼が本堂を再建時に伏見城から寄進さ
れたものと伝わるそうです。

▼放生池。

本堂の東側にある池で、山腹から水を引き、三段に分かれた小さな滝があり、池の四方は回遊出来るように
小径がついていますが今日は進入禁止でした。
▼放生池三段の滝。中央奥の観音さんの右にあるの見えます?

▼てんでバラバラの鯉。

▼本堂。
平成十二年 (2000年) 5月9日未明、放火により焼失。平成十七年六月二日落慶。
桁行3間、梁間3間、正面左右二間、側面一間の跳ね上げ式の蔀戸付、入母屋造、木柿葺 (こけらぶき)。

▼本堂扁額。

▼本尊地蔵菩薩立像。美術院によって模刻された本尊地蔵菩薩像。

▼本堂。

▼ボツボツ染まりだしました。

▼参道の途中に茶室弧雲門。

▼門の屋根のヘンなやつ。

▼茶室弧雲

昭和天皇即位御大典に用いられた部材が寂光院に下賜され、それをもとに茶室を造り、昭和六年三月、千宗
室宗匠をたのみて献茶式を催し茶室開きを行ったそうです。
▼そうとう染まりだしました。

▼路傍のたわわと名残花です。


▼御朱印です。

錦秋紅葉シーズンを避けたつもりで、大原を訪ねたんですが毎度の事ながら甘ちゃんでした。連休とうい事
もあるんでしょうがやはり大原は人気スポット、お寺も電車もバスも一杯、紅く染まるのはまだ先なのにねえ。
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