土曜日は古寺を歩こう。

寺勢華やかな大寺も、健気に法灯を守り続ける山寺もいにしえ人の執念と心の響きが時空を越え伝わる。その鼓動を見つけに…。

六地蔵大善寺、工事中でしたが、男前お地蔵さんには会えました。

2014年04月11日 | 京都の古寺巡り



(2014.04.05訪問)

実は、桜に浮かれたあと中書島から再度京阪宇治線で六地蔵駅まで戻ったんです。平等院から次は大善寺を
訪ねるのが今日のスケだったんですがねェ、ベッピンおねーさんと話し込んで六地蔵で降りるのを忘れたん
です。しかも相手は二人、ベッピンの力は偉大でございますです。
と云うことで、ドジにもほどがあると反省をしつつ、六地蔵発祥地の大善寺を訪ねました。遠目に見て嫌な
予感!山門が工事中、東門は姿かたちなし、南門はスチール足場で囲まれていました。残残念念!


▼このお寺のメインアクター、小野篁作地蔵菩薩像。




[ 大善寺 ]
●山号 法雲山 (ほううんざん)
●院号 浄妙院 (じょうみょういん)
●寺号 大善寺 (だいぜんじ)
●開山 伝定恵上人 (じょうえしょうにん)
●開創 慶雲二年 (705年)
●宗派 浄土宗
●本尊 阿弥陀如来坐像
▲京都市伏見区桃山町西町24 TEL.075-611-4966
▲拝観料 境内自由
▲拝観時間 9:00~16:00  
▲JR奈良線、京阪電車宇治線「六地蔵」下車徒歩10分
 

▼外環状線に面して寺標と由緒柱石が建てられています。




大善寺縁起
慶雲二年 (705年)藤原鎌足の長男、定慧上人が宇治木幡に法雲寺として創建。平安時代初期、小野篁は冥
土で生身の地蔵菩薩に出逢い、その教えにより蘇生。852年、篁は、宇治木幡山の桜の大木から6体の地蔵
尊像を刻み、木幡の里(現在の大善寺)に安置したとされ、三井寺の智証大師円珍により開眼供養が行われ
天台宗に改宗。六地蔵の地名は大善寺が六地蔵信仰の発祥地で六地蔵を祀っている事に由来。現在は浄土宗
のお寺です。


▼駒札。





▼鐘楼。
 お江さんの娘、東福門院和子さん ( 後水尾天皇中宮 ) が明正天皇の安産祈願成就のお礼として寄進したも
 のだそうです。





▼鐘楼天井に残る彩色絵。(写真はネットから貰ってきました)





▼井戸と手水鉢。





▼境内。





▼本堂。醍醐の勧修寺宸殿を移築したと伝わるそうです。入堂出来ませんでした。





▼本堂扁額。





▼本尊阿弥陀如来坐像。格子小窓から撮った写真です。





▼入母屋破風の前に軒唐破風が付けられた正面屋根。





▼境内の一角に石造物いろいろ。





▼地蔵堂。中央須弥壇に本尊地蔵菩薩、脇陣厨子に小野篁像。六角宝形造、本瓦葺。





▼本尊 地蔵菩薩 (重文)。像高161cm、一木造。平安時代、小野篁が刻したとの伝承があるそうです。
 三色真綿で大事に々々慈しんで千二百年の年月を感じさせることなく、ご本人もキリッとした優しい眼差
 しを時代々々の衆生に投げかけ、語りかけてきたのでしょう。この写真も格子小窓から撮ったものです。

  
 
 六地蔵巡りの縁起 (六地蔵縁起 大善寺による)
 保元年間 (1156~1159年) 都で疫病が流行した時、第77代後白河天皇は、都の出入り口に六体の地蔵尊
 を祀るよう平清盛に命じた。清盛は京洛の街道口六か所に六角円堂を建て、小野篁が刻した地蔵菩薩を安
 置、西光法師に供養させたという。
 地蔵尊は、疫病退散、都往来の路上安全、福来結縁の祈願が行われたと云う。地蔵尊の数は時代で変遷し、
 江戸時寛永年間 (1661~1673年) には、ほぼ現在の六地蔵巡り六寺となる。 
 



▼観音堂。方三間宝形造、本瓦葺、一間向拝付。





▼観音堂須弥壇。お厨子内に千手観音菩薩立像が安置されてるそうです。





▼地蔵堂横に祀られている石像。正体不明です。





▼庫裡玄関だと思います。正面左右に紅白の椿が植わってます。





▼正面にみき京みち、左面にひたりふしミみち、見えない右面には、ひたりおうはく、うち道、と刻された道
 しるべ。今も昔もこの地は交通の要所だと云うことがよく理解出来ますね。





お寺は工事中でしたが、この寺メインのお地蔵さんは健在。
優しいお顔にホッとしたところで、今日のお寺巡り オ シ マ イ




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