土曜日は古寺を歩こう。

寺勢華やかな大寺も、健気に法灯を守り続ける山寺もいにしえ人の執念と心の響きが時空を越え伝わる。その鼓動を見つけに…。

元慶寺は、西国三十三観音霊場番外札所です。

2014年04月14日 | 京都の古寺巡り


(2014.04.12訪問)

マップ片手に地下鉄御陵駅から元慶寺へ向かいましたが、山科の街は複雑、入りくんだメッシュ状の細道と
マップの表示が合いません。ウロウロすること約三十五分、やっとの思いで着いたのでありました。
今日は花粉めが飛び過ぎ。涙、鼻水、ハクションでハンカチグチャグチャ、お天気良好なれど踏んだり蹴っ
たりの一日の始まりです。

▼細い細い町中道の突き当たりに竜宮城が現れました。





[ 元慶寺 ]
●山号 華頂山 (かちょうざん)
●寺号 元慶寺 (がんけいじ)
●開山 遍昭僧正 (へんじょうそうじょう)
●開創 貞観十年 (868年)
●宗派 天台宗
●本尊 薬師瑠璃光如来坐像
●西国三十三カ所観音霊場番外札所
▲京都市山科区北花山河原町13 TEL.075-581-0183
▲拝観料 境内自由 御朱印300円
▲拝観時間 8:00~17:00  
▲地下鉄東西線 御陵下車 徒歩約20分 
 京阪三条から京阪バス 北花山下車 徒歩約5分
 

▼ここから一直線参道入り口です。





元慶寺縁起
陽成天皇誕生のとき母后藤原高子の発願により、遍昭僧正を開基として建立。公家衆読経の二十一ヵ寺に数
えられ寺門繁栄したが、応仁の乱を始め度々の火災で衰微、江戸末期に現在の形に再建された。


▼竜宮造山門。





▼番外と云えどさすが札所、お札が貼りまくられています。





▼山門から境内。





▼庫裡まで一本道、と云うほどの距離はありません。





▼庫裡、ここで納経やご朱印をいただきます。





▼本堂。方三間、宝形造、桟瓦葺、一間向拝付。なんせ狭い境内、正面から本堂が撮れません。





▼本堂扁額。ここにも所狭しとお札が貼られています。





▼本尊薬師瑠璃光如来坐像。
 像高1m位でしょうか、細身の体形ながら全体金泥がよく残り、制作年代はよく判りませんが美しい薬師
 さんです。ガラス越しの写真です。





▼苦し紛れの本堂写真です。





▼蹲踞です。





▼花山法王落飾跡の碑。


 
西国三十三ヵ所巡礼を再興させた花山法皇が藤原兼家、道兼父子の策略により二年で天皇退位に追い込まれ、
十九歳の時髪を剃り、このお寺で出家させられたと伝えます。花山法王は廃れていた西国三十三カ所霊場を
復興した方で西国霊場中興の祖と仰がれている方です。


▼花山法王落飾跡に建てられた新しいお堂。どういうお堂か詳細不詳。

  



▼開基遍昭僧正の歌碑と小倉百人一首十二番の絵札。
     天つ風 雲の通い路 ふき閉じよ 乙女の姿 しばしとどめむ





▼元慶寺開基遍昭僧正の墓。


 
遍昭僧正は桓武天皇の孫で、寵愛を受けた仁明天皇崩御の後出家、同時に比叡山に入り慈覚大師円仁に菩薩
戒を受け、創建された元慶寺座主となったそうで六歌仙、三十六歌仙のおひとり。
墓は現在の境内にはありません。お寺から10分ばかりの町中にあるのですが、発見出来ませんでした。
離れたところにどうして? 往時の元慶寺寺域は相当広かったのでは。
(この写真はネットから貰ったものです)


▼正体不明の石碑です。刻されているのは梵字か、はたまた謎の記号なのか不詳です。





▼元慶寺再興の謂れが刻された石碑なんですが、碑を支えているのはいったい何者?





▼山門にかかる青もみじ。ピンクから季節が代わり、緑が幅を利かせだしました。青もみじの緑も深みを増
して行くことでしょう。

 



▼御朱印です。





僅か十九歳で天皇の座を追れ、山科の地で落飾、藤原一族の陰謀に涙をのんだ花山天皇はここ元慶寺で出家。
悔しい憂き目に会ったとはいえ、一方で相当ヤンチャな人だったらしく、いろんなゴシップを残しているそ
うで、結果として人生の終盤、仏教に目覚め西国三十三カ所観音霊場を再興。こんな花山天皇の舊跡ですが、
往時の面影を残す跡は何もありません。

涙を拭きつつ、鼻をかみながら元来た道を戻ります。ファファファックショ~ン!!





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