土曜日は古寺を歩こう。

寺勢華やかな大寺も、健気に法灯を守り続ける山寺もいにしえ人の執念と心の響きが時空を越え伝わる。その鼓動を見つけに…。

詩仙堂、四季の美を凝縮した石川丈山風雅の極み。

2013年12月11日 | 京都の古寺巡り


(2013.12.07訪問)


名勝庭園を持つ詩仙堂の秋は終わったようです。鮮やかさを競った赤朱黄とりどりの紅葉は、土に帰って行
きました。色の消えたお庭には静寂が戻り、名残の赤を残しつつも、ひそかに冬の足音が聞こえてくるよう
です。それにしても、詩仙堂はやはり詩仙堂、至楽巣の広間には庭に思いを馳せ、何かを思う人たちの後ろ
姿のシルエットが印象的でした。

▼額縁庭園にお嬢さん一人。




[ 詩仙堂丈山寺 ]
●山号 六六山(ろくろくさん)
●寺号 丈山寺(じょうざんじ)通称 詩仙堂
●開山 石川丈山(いしかわじょうざん)
●開創 寛永十八年 (1641年)
●宗派 曹洞宗 永平寺末
●本尊 馬郎婦観音菩薩立像(めろうふかんのんぼさつ)
▲京都市左京区一乗寺門口町27番地 TEL.075-781-2954
▲拝観料 500円 御朱印300円
▲拝観時間 午前九時~午後五時
▲http://www.kyoto-shisendo.com/
▲市バス五番「一乗寺下り松」下車、徒歩約8分
 叡山電鉄「一乗寺」下車、徒歩約10分

詩仙堂縁起 (詩仙堂HPから抄出)
徳川家武将石川丈山が隠遁生活を送るために建てた山荘。母の死後広島から帰洛、相国寺畔に居を構えたが、
その後、寛永十八年 (1641年) 東山山麓一乗寺村に詩仙堂を完成させ世俗を離れた隠遁生活をはじめた。
建物へ入ると直ぐの四畳半の間に、丈山が狩野探幽に描かせた三十六人の中国詩家の肖像に詩家の詩を丈山
自ら書いて壁に掲げている。この部屋を「詩仙の間」といい、この名が通称となり建物全体を詩仙堂と呼ぶ
ようになったとか。

▼門前の寺名石標。





▼入口の小有洞の門 (しょうゆうどうのもん)。





▼参道石段。





▼参道石段上りつめたところ老梅関の門 (ろうばいかんのもん)。





▼ワイドなお庭が目の前に、至楽巣(しらくそう)のお座敷へ。





▼正面、さつきの丸い刈り込みは春の主役と云いますネ。





▼ごそごそカメラをいじってる間に拝観者でイッパイ!





▼このさつきも一度見てみたいもんです。





▼詩仙の間。詩仙堂の名の起こりはこのお部屋から。鴨居に掛けられているのが中国詩家三十六人の肖像。





▼詩仙の間前の手水鉢。





▼詩仙の間から見るお庭。散り去ったもみじと緑の刈り込み、少しばかリ寂寥感が漂います。





▼白椿の大木、たくさんの花を付けています。ヘタな写真で判りませんけどホントですヨ。





▼至楽巣の外観。





▼至楽巣堂上の嘯月楼(しょうげつろう)。





お庭に下りてみましょうか。
▼お庭の一角に、茶室残月軒。





▼庭園。つい十日ほど前には、人々で溢れたんでしょうネ。





▼流葉はく(さんずいに陌) 小さい池です。





▼今も残る僧都 (鹿おどし)。閑寂に響くこ音を丈山さんは愛し、慰めにしたと云います。





▼庭園。錦秋に代わり寂寥の季節が見えるようです。





▼冬が急ぎ足でやってきますよ。





▼御朱印です。お庭の隅に残っていた敷き紅葉。




詩仙堂丈山寺、永平寺末と聞き初めて訪ねましたが、お寺の印象はありません。しかしこの詩仙堂の人気の
ほどは凄い。丈山さんが造った質素な山荘と四季折々の美を庭園に凝縮した名勝。「素」と「趣」の妙味、
文人丈山さんの感性が三百七十ニ年を経て今日に伝わる風雅な佇まいが、訪れる人に強烈な印象を残すんで
しょうネ。
それにしても、丈山さんは余程漢詩漢文に精通してたのでしょう、建物各所に付けられた名称、サッパリ理
解出来ません。

▼今日の出町出会い。午後三時前です。水に遊ぶ人影も少なくなったようです。





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圓光寺の敷紅葉、最後の魅力を見せています。

2013年12月09日 | 京都の古寺巡り


(2013.12.07訪問)


一週間前の叡山電車出町柳駅の異常な雑踏はドコへ行ったんでしょう。気の抜けるほど静かな駅風景でした。
錦秋の盛りは過ぎ、足早に季節は流れています。紅い残影は枝を離れ、彩々の赤が苔の緑を覆い尽くし散り
から敷きへ、季節の変化は初冬へと急ぎ足でやってくる、そんな紅葉の最後の名残を期待して名庭園として
名を為している洛北圓光寺と詩仙堂を訪ねました。


▼敷紅葉。




[ 圓光寺 ]
●山号 瑞 巌山(ずいがんさん)
●寺号 圓光寺(えんこうじ)
●開山 三要元佶禅師(さんようげんきつ)
●開創 慶長六年 (1601年)
●宗派 臨済宗南禅寺派
●本尊 千手観音菩薩坐像
▲京都市左京区一乗寺小谷町13番地 TEL.075-781-8025
▲拝観料 500円 御朱印300円
▲拝観時間 午前九時~午後五時
▲http://www.enkouji.jp/
▲市バス五番「一乗寺下り松」下車、徒歩約10分
 叡山電鉄「一乗寺」下車、徒歩約15分

圓光寺縁起 (圓光寺HPから抄出)
慶長六年(1601年)徳川家康は国内教学の発展を図るため、下野足利学校第九代学頭、三要元佶禅師を招
き、伏見に圓光寺を建立し学校とした。圓光寺学校が開かれると、僧俗を問わず入学を許した。
また孔子家語、貞観政要など多くの書籍を刊行し、これらの書物は伏見版または圓光寺版と称された。当寺
には、出版に使用された木活字が現存しており、我国出版文化史上特筆すべき寺院であるといえよう。その
後、圓光寺には相国寺山内に移り、さらに寛文七年(1667年)現在の一乗寺小谷町に移転された。


▼山門。





▼寺標石柱。





▼モダーン石庭、奔龍庭。雲海を自在に奔る龍を表現しているそうです。石段を上り切るとこの景観!





▼庫裡。





▼玄関。





▼玄関襖絵。琳派を彷彿とさせる現代風感覚で制作した作品。「琳派彩還」とよんでるそうです。





▼杯形の手水鉢を用いた水琴窟。澄んだ音色は心地いいですヨ。





▼本堂扁額。





▼本堂仏間。





▼本尊 千手観音菩薩坐像。





▼本堂襖絵。明治十八年 (1885年) に描かれた、富岡鉄斎の米點山水図。





▼中門を入ると左手、本堂手前と客殿。





言葉はいりませんネ、この光景。
▼十牛之庭。池泉回遊式庭園として整備されています。





▼客殿から十牛之庭。どの柱間からも額庭園の美を感じますネ。





▼十牛之庭。





▼客殿から十牛之庭。





▼客殿床と棚。禅寺定番のだるまさん。





▼茶室。客殿の一角に設えられています。





▼十牛之庭。





▼洛北最古の泉水、栖龍池。





▼豆地蔵さん。





▼敷紅葉の向こうに禅堂。





▼禅堂扁額。





▼左右に並ぶ禅仕様。行雲流水、自己と向き合う坐禅体験が早朝に行われているそうです。





▼鐘楼。





▼歌碑。





▼花頭窓からお庭。





▼紅葉残照。





▼十一面観音石像。





▼境内から洛北市街。





▼御朱印です。





散り染めた一枚の葉っぱはチリジリで決して綺麗なものとは云い難いですが、これを風景として眺めてみる
と、まさに敷かれた赤い絨毯、しかもとりどりの赤が混じり合った波打つ景色は、言葉が見当たらないほど
美しいもの。今盛りと赤が映える樹々も、散り染めた赤も、自然が作り出すこの演出には脱帽です。



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賀茂御祖神社、御手洗池にそっと手を触れる美しい斎王代はいませんでした。

2013年12月06日 | 京都の古寺巡り



(2013.11.30訪問)

東山山麓の寺院紅葉はもうオシマイに近い状態だったようなんですが、ここ糺の森は京都一遅い紅葉名所と
して期待してやってまいりました。が、少し早かった?ようで……。
その糺の森を神域とする下鴨神社を初めて訪ねました。あの葵祭のお宮です。


▼楼門。





[ 賀茂御祖神社 ]
●社号 賀茂御祖神社(かもみおやじんじゃ)通称 下鴨神社(しもがもじんじゃ)
●祭神 西本殿 賀茂建角身命(かもたけつぬみのみこと)
    東本殿 玉依姫命(たまよりひめのみこと)
●古都京都の文化財として、1994年日本で5件目の世界遺産として登録。
▲拝観料 境内自由(社殿拝観は午前十時~午後四時 拝観料500円)
▲開閉門時間 午前六時三十分~午後五時
▲京都市左京区下鴨泉川町59 TEL. 075-781-0010
▲http://www.shimogamo-jinja.or.jp/
▲JR京都駅から市バス4番、205番で下鴨神社前または糺ノ森前下車
 京阪出町柳駅より徒歩10分

賀茂御祖神社縁起 (賀茂御祖神社 HPから抄出)
創祀年代を特定することは出来ないが、日本書紀神武天皇二年二月条に、当神社御祭神、賀茂建角身命を奉
斎していた氏族の名がみえる。この氏族は、賀茂建角身命の先の代、天神玉命を祖神とする鴨氏と同じ氏族
であったことで知られ、賀茂神宮賀茂氏系図に、賀茂建角身命の子、鴨建玉依彦命より十一代後の大伊乃伎
命の孫、大二目命が鴨建角身命社を奉斎していたことが記されている。その社が、今日の賀茂御祖神社の始
源社の一社であろうとされ、崇神天皇七年、社の瑞垣が造営され、垂仁天皇二十七年八月、御神宝が奉まつ
られている。欽明天皇五年四月から賀茂祭(葵祭)が行われていることからみて、創祀は西暦紀元をはるか
に遡るものとみられている。


▼表参道入口と社標。





▼糺の森入口にドンと世界文化遺産碑。





▼糺の森参道。この一直線の先に本殿が。





▼参道右手を流れる泉川、楓もみじの紅葉が見当たりません。





▼と思ったら、見頃も。





▼参道左の瀬見の小川。





▼いにしえの奈良の小川を再現したそうです。





▼こんな紅葉を見ることも出来ます。





▼南口鳥居。先に見えるのが楼門です。





▼手水舎。





▼朱色が目映い重層楼門(重文)。三間一戸、上層勾欄付、檜皮葺き。





楼門を入ると広い前庭に建物が並んでいます。
▼神服殿(重文)。桁行五間、梁間四間、入母屋造、檜皮葺き。
 御神服を奉製する御殿。御所災害のとき臨時の御座所と定められているそうです。





▼舞殿(重文)。桁行四間、梁間三間、入母屋造、檜皮葺き。
 葵祭のとき勅使が御祭文を奏上される御殿。御所災害のとき臨時の内侍所と定められているそうです。





▼橋殿(重文)。桁行四間、梁間三間、入母屋造、檜皮葺き。
 年中祭事で神事芸能が奉納される社殿。





▼中門(重文)。





本殿お参りの前に、御手洗池の方へ行ってみましょう。
▼御手洗川に架かる輪橋(そりはし)通行止め、渡ることは出来ません。





▼御手洗社 (別名 井上社)。災難厄除けにご利益があるそうです。





▼御手洗池。賀茂祭(葵祭)に斎王代の禊の儀がこの御手洗池で行われます。





▼御手洗池。美しい斎王代が水面にそっと手を触れる、見る事が出来るのは春五月です。





▼御手洗池から輪橋をくぐる流れが御手洗川となり、やがて糺の森の泉川となり賀茂川に流れ入ります。





中門まで戻ってご本殿へ。
▼ごったがえす中門(重文)。





▼幣殿(重文)。いわゆる拝殿のことと思われます。



幣殿前は押すな押すなの人いきれ、本殿は二十一年に一度の式年遷宮に向けて社殿を大規模な修復中なので
覆屋、テント張りのためこれ以上奥は拝観することは出来ません。ご神体は現在仮本殿に安置。



▼ネットから貰ってきた東西本殿(国宝)。





▼鮮やかな楼門を見上げつつ……。





▼紅葉進行中?のもみじをチラチラ探しながら……。





▼本当に進行中なのか、見頃なのか、もうオシマイなのかよく判らないまま……。糺の森参道を帰ることに
 します。




糺の森を神域とする下鴨神社は、見るべき社殿や摂社末社、著名なものが数多く点在していますが、今回は
そのほとんどをパス、回り切れませんでした。
驚異! ヨタヨタの30000歩越え。

▼今日の出町出会い。午後3時40分頃。





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法然院、白砂檀の間を通って清めの浄域へ。

2013年12月04日 | 京都の古寺巡り



(2013.11.30訪問)

やはり特別公開の日は過ぎていましたので、本堂内や方丈庭園への拝観は出来ません。拝観出来
る範囲は限定され、決して広くない境内ですが、鬱蒼の緑から錦の彩り、雅な赤が境内を纏うこ
の時期、雅と鄙を併せ持った趣を感じさせ、人々の列が途切れることはありません。この時期、
このお寺の人気は凄いですワ。


▼本堂前の紅葉。




[ 法然院 ]
●山号 善気山(ぜんきざん)
●院号 法然院(ほうねんいん)
●寺号 萬無教寺(まんむきょうじ)
●宗派 浄土宗単立
●開基 法然上人(ほうねんしょうにん)
●中興 萬無(まんむしょうにん)忍澂上人(にんちょうしょうにん)
●本尊 阿弥陀如来坐像。
▲京都市左京区鹿ヶ谷御所ノ段町30番地 TEL.075-771-2420
▲拝観料 無料(伽藍内特別公開の期間中、伽藍内の拝観は有料となります。)
▲拝観時間 午前六時?午後四時
「春季 伽藍内特別公開」毎年四月一日?七日 午前九時半?午後四時 文化財保存協力料 500円
「秋季 伽藍内特別公開」毎年十一月一日?七日 午前九時?午後四時 文化財保存協力料 800円
▲http://www.honen-in.jp/index.html
▲JR京都駅から市バス5番で岩倉行、浄土寺下車、山に向かって徒歩10分
 四条河原町から市バス32番で銀閣寺前行、南田町下車、山に向かって徒歩5分
 京阪出町柳駅より市バス錦林車庫行、浄土寺下車、山に向かって徒歩10分

法然院縁起 (法然院HPから抄出)
鎌倉時代、宗祖法然上人は、鹿ヶ谷の草庵で弟子の安楽・住蓮とともに、念佛三昧の別行を修し、
六時礼讃を唱えられた。建永元年(1206年)十二月、後鳥羽上皇の熊野臨幸中に、院の女房松虫、
鈴虫が安楽・住蓮を慕って出家し上皇の逆鱗に触れるという事件が生じ、法然上人は讃岐国へ流
罪、安楽、住蓮は死罪となり、その後草庵は久しく荒廃することとなった。江戸時代初期の延宝
八年(1680年)知恩院第三十八世萬無和尚は、宗祖法然上人ゆかりの地に念佛道場を建立すること
を発願し、弟子の忍澂和尚によって、現在の伽藍の基礎が築かれた。


▼寺名石柱。





▼石段を上ると黒門、山門参道へと続きます。





▼山門と紅葉。





▼数寄屋造り有名茅葺き山門はすぐそこに。





▼山門を潜ると両側が白砂檀です。暗くてどうもスンマセン。真ん中の参道は水を表し、心身清
 めて浄域へ。





▼左双鶴と思うんですが、これが白砂を固めた盛り砂、これが白砂檀です。





▼山門横の紅葉。





▼境内から山門を見る。





▼講堂。元禄七年(1694年)建立の大浴室であったが、現在は講堂として、イベントなどに利用さ
 れているそうです。





▼放生池の石橋。





▼葉っぱを水口に使う名物蹲。





▼放生池の逆さ紅葉。水面に映る紅葉のきれいなこと。





▼相当燃えてますネ。





▼十三重石塔。





▼経蔵。





▼地蔵菩薩。本堂正面の石段上の尊像は、元禄三年(1690年)忍澂和尚四十六歳の時、自身と等身
 大の地蔵菩薩像を鋳造させ、安置されたものだそうです。





▼本堂前の紅葉。





冒頭で「雅と鄙を併せ持った趣を感じさせ」なんて偉そうなことを書きましたが、錦秋世界の美、
赤や朱が織りなす天然の美などを理解する美的感覚をボクは持ち合わせていません。
と云うのはヘタでヒドイ写真の言い訳です。このごろのカメラはいいハズなんですがねェ……。
法然院 オ シ マ イ

ですが、今日はまだ終わりませんヨ、これから出町柳までウォーキング!!!



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安楽寺、ラッキーにも拝観出来ました。

2013年12月02日 | 京都の古寺巡り


(2013.11.30訪問)

柄にもなく錦秋に浸ろうと哲学の道の一本東の細道をフラフラ歩いていると思ってください。
オッ!安楽寺が開門しているではありませんか。と云うよりカメラおじさん、おばさんがたむろしているで
はありませんか。
いつ訪ねても閉門中、今日偶然公開中に通りかかりました、ラッキーです。このお寺、年間公開日が決まっ
ているそうで、訪問される方、事前確認して行ってください。



▼石段と茅葺き山門。朝の光はことのほか陰影を際立たせます。





[ 安楽寺 ]
●山号 住蓮山(じゅうれんざん)
●寺号 安楽寺(あんらくじ)
●宗派 浄土宗
●開基 住蓮上人(じゅうれんしょうにん)安楽上人(あんらくしょうにん)
●復興 法然上人(ほうねんしょうにん)
●本尊 阿弥陀如来坐像。
▲京都市左京区鹿ケ谷御所ノ段町21 TEL.075-771-5360
▲拝観料 500円 御朱印300円
▲拝観時間 午前九時三十分~午後四時三十分
 安楽寺は年間を通して一般公開日が設定されています。詳しくは安楽寺HPをご覧下さい。
▲JR京都駅から市バス5番で岩倉操車場行、真如堂前下車、徒歩10分
 四条河原町から市バス203番で祇園・錦林車庫行、真如堂前下車、徒歩10分


安楽寺縁起 (安楽寺HPから抄出)
法然上人の弟子、住蓮上人と安楽上人を開基とします。この開山両上人が、現在地より東に「鹿ヶ谷草庵」
を結び、布教活動の拠点を持たれたのがこの寺のはじまりです。山門前の石柱には「浄土礼讃根元地」と刻
まれています。両上人が称える礼讃はすばらしく、両上人の前で出家を希望する人もありました。その中に
後鳥羽上皇の女官、松虫姫と鈴虫姫がおられました。両姫は、法然上人や開山両上人から念仏の教えに感銘、
建永元年(1206年)十二月、後鳥羽上皇紀州熊野参拝の留守中、鹿ヶ谷草庵を訪ね出家を乞います。松虫姫は、
住蓮上人から、鈴虫姫は、安楽上人から剃髪を受けます。これを知った上皇は激怒、建永二年二月九日、住
蓮上人は近江国馬淵で、同日安楽上人は京都六条河原で斬首。法然上人を讃岐国に、親鸞聖人を越後国に流
罪、建永の法難です。その後、両姫は瀬戸内海の生口島で念仏三昧の余生を送り、松虫姫は三十五歳、鈴虫
姫は四十五歳で往生を遂げたと伝えられています。両上人の亡き後、鹿ヶ谷草庵は荒廃しましたが、流罪地
から帰京された法然上人が両上人の菩堤を弔うために草庵を復興するように命ぜられ「住蓮山安楽寺」と名
付けられました。天文年間に現在地に本堂が再建され、今日にいたっています。


▼寺名石柱。この寺名、道路側ではありません。表面は「浄土礼讃根元地」と刻されています。





▼山門脇のもみじ。カメラおじさんが云ってました「今年は色付き悪いなァ、散りも少ないし色付き遅いワ」
 そう云われて見ると色はまばらです。





▼山門。お寺の山門とは思えない佇まい。





▼いきなりこのもみじ。もっと紅くなるんでしょうか?





▼山門ともみじ。真っ赤だったら絵になるでしょうネ。





▼本堂前庭。





▼仏足石。足跡を揃えていないところが、動を感じません?





▼本堂。宝形造、方三間、本瓦葺、一間の向拝付き。重層に見えますが、初層は裳階と思われます。





▼本堂内陣の本尊、阿弥陀三尊像。





▼阿弥陀さんのお顔。やや角張ったお顔と半眼は絶対的救済の意思に溢れている様です。





▼本堂を見上げてみました。





▼一番の紅葉。





▼井戸。





▼風楼の扁額がかかる客殿。





▼床には鶴田一郎さんの松虫姫か鈴虫姫らしき版画。





▼客殿からお庭。





▼客殿庭園。丸く刈り込まれたツツジと五月。春にはまた違った光景を見せてくれるんでしょう。





▼水無川にかかる石橋。光の差さないお庭もまた一興。





▼客殿からお庭。額景を撮りたかったんですが。





▼中庭から客殿。





▼中庭の手水鉢。





悲劇の四人の供養塔が境内高所に建てられています。
▼住蓮、安楽上人の供養塔。





▼松虫、鈴虫姫の供養塔。





▼真っ赤になるのか、このまま終わるのか気になりながら山門ともみじを見上げ安楽寺を辞しました。





▼安楽寺はカボチャ供養で有名です。 (安楽寺HPから抄出)
毎年七月二十五日の九時から十五時まで「中風まじない鹿ヶ谷カボチャ供養」を勤めています。当日ご参拝
されたお方に、煮炊きされた鹿ヶ谷カボチャを食べていただき、中風にならないよう祈願する行事です。





▼御朱印です。





▼まさに綾錦。法然院への道すがら。






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