塚田盛彦のつれづれなるままにサッカー

世界中で親しまれているサッカー。このサッカーをフィルターとして、人間社会の構造に迫っていきたいと思います。

器用貧乏に陥る怖さ(2)

2010-03-08 01:04:05 | 日記
 前回に続いて今回のテーマは「器用貧乏」です。
 
 僕はメッシやイブラヒモビッチ、そしてロナウドあたりが凄く羨ましいですね。何故かと言いますと、彼らは自分が求められている役割以外の役割、つまり「シュートを打つこと」のみに集中でき、他のポジションへのコンバートや便利屋的な扱いを一切受けなくて良いからです。
 
 どんなに間抜けな指揮官でも、いかにクラブ事情が悪くても彼らをMFやDFで起用するなどとは思ってもみないでしょう。古い話で恐縮ですがJリーグ初年度の1993年、当時レッズの森監督は、本来FWのウーベ・ラーンをリベロにコンバートしましたが、ブンデスリーガ得点王にも輝いたドイツ人が、このコンバートをよく受け入れた物だと今でも思います。当時のJリーグは州2回のリーグ戦という非常に厳しい日程でしたが、それでもレッズがこの年疲弊していたかがわかるエピソードです。

 もちろんメッシやイブラヒモビッチにしても、絶えずポジションチェンジはしていますから、別の見方をすれば彼らはポジションに拘泥していないと見ることも出来ますが、彼らはサッカーに限らず、全てのプロ選手に共通すること、即ち「プロとは自分ができることのみを遂行して賃金を得ている」を具現化しているだけです。

 これが便利屋になってしまうと、確かにクラブとしては有難いかもしれませんが、選手は自分が「プロとして何を売りにして生きているのか?」という点が、ひどく曖昧なものになってしまうと思います。

 現代サッカーの過密日程、そして交代枠3を考慮しながら試合中布陣を変更するには、複数のポジションを担える選手がいることにこしたことはありません。ただその一方であの安直な指揮官の思いが、選手の選手生命を脅かしている可能性があることも、僕たちは常に認識していなくてはいけないと思います。
コメント
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