塚田盛彦のつれづれなるままにサッカー

世界中で親しまれているサッカー。このサッカーをフィルターとして、人間社会の構造に迫っていきたいと思います。

ワールドカップと通信機器の発達

2010-03-24 22:38:22 | 日記
 1994年はVHS
 1998年も引き続きVHS
 2002年はDVDとVHSの併用
 2006年はDVD
 そして2010年はブルーレイディスク

 昔のサッカー雑誌を拾い読みしていると、様々なサッカービデオの広告が出ていて微笑んでしまいます。昔はブックオフや古本屋で、持っていないサッカービデオがあると、できる限り手に入れてみたものです。今もそのビデオは処分せず手許に残っていますが、僕は一度見た映像は見返さない方なので、結局は高くついたと言えるかもしれません。
 ただ今昔も衛星テレビとケーブルテレビの契約を結んだ事のない僕にとって、VHSとDVDの映像はとても貴重な存在であったことは事実です。

 4年前の今頃、家電量販店では「ワールドカップの興奮をDVDに残そう!!」と盛んに煽っていましたが、その4年後記録メディアがブルーレイに切り替わっているなんて、予想できた人はいるんでしょうか?
 「ワールドカップの興奮はブルーレイで!!」に切り替えれば、商売の方法は4年前と何らか変りませんが、10年前「ガー」という音とともに、ビデオテープの早送りと巻き戻し、そして再生でサッカーを楽しんでいた時代が懐かしく感じます。

 最近は衛星テレビが発達したせいか、販売されるサッカーDVDの数は減少傾向にあるようです。またレンタルDVDが宅配サービスで利用できる今、高いお金を払って「映像を買う」事は、サッカーに限らず映画好きのファンにとっても、古臭い方法なのかもしれません。

 ワールドカップの歴史を振り返る事は、映像メディアと通信メディアの歴史を振り返ることと同じですよね。昔は書いた記事を記者の方は必死にホテルのファックスサービスで送信していたそうですが、今はパソコンのボタンひとつで記事が生まれ、デジタルカメラの鮮明な動画が欠かせなくなりました。

 2014年のワールドカップも記録メディアはブルーレイでしょうが、2018年以降のワールドカップは、新たな記録メディアを売り出す格好のターゲットになっているかもしれません。

 機会の発達は確かに便利だと思いますが、僕はその頃「ビデオやDVDの時代が良かった」と呟いているそうな気がします。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

僕が考える今のオランダ代表

2010-03-24 18:08:54 | 日記
 でもオランダに弱点が無いわけではありません。
 もし4ー2ー3ー1の布陣で臨むならば、3のポジションは右からカイト、スナイデルそして怪我が癒えたならばファンペルシー、みしくはロッベンで1をフンテラールに任せるのではないかと僕は予想します。

 こうするとファン・デルファールトはスナイデルのサブになりますし、ふたりを併用すべきではないかという意見もでてきそうです。
 例えば布陣を4-3-3(4-2-1-3)に変更し、スナイデルの背後をフェン・ボンメルとファン・デルファールトで固めるという案もあると思いますが、どちらにしても中盤のキープレーヤーはスナイデルでしょうから、日本がどの位置で彼にプレスをかけるのかで、日本の命運は随分変化すると思います。

 またファン・デルサール引退後のゴールマウスを誰が守るのかも、オランダにとっては重大な問題です。
 オランダの不幸は彼が常に健康で安心してゴールを任せられたことに加え、ファン・マルバイク以前の代表監督が、ファン・デルサール以外のGKを積極的に起用してこなかったことが挙げられます。彼の実力に衰えが感じられなかった為、彼についゴールマウスを預け続けてしまったんですね。

 日本が1998年以降川口と楢崎という優れたGKに恵まれ、今川島という後任にメドがつきつつある点とは非常に対照的です。
 オランダにもファン・ブロクホルストやマタイセン、ボラルーズというように優れたDFがいないわけであはありません。しかし彼らとGKの間のギャップにボールを送り込む、もしくはFWやMFが走りこんでシュートを打てば、案外オランダから点をとれるかもしれません。

 しかしどんなに不調が囁かれても、オランダは常にワールドカップの優勝候補です。不調でも試合を組み立て勝利するだけのバックボーンをオランダは兼ね備えています。
 ですから日本は謙虚な姿勢を忘れず、しかし怖れることなく勝負を挑んで欲しいと思います。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

オランダは今まとまっているのか(2)

2010-03-24 17:40:49 | 日記
 そして前回のワールドカップは指揮官マルコ・ファンバステンとエースのファン・ニステルローイの確執が生じ、ニステルローイはしばらくの間オランダ代表のジャージを身につけることはありませんでした。

 また内紛とは異なりますが、2004年の欧州選手権の対チェコ戦において、絶えずチェコに脅威を与え続けてきたウイングのアリエン・ロッベンを、守備固めのために交代させた指揮官、ディック・アドフォカートに痛烈な批判がオランダ内外から浴びせられました。
 試合もチェコが3-2で勝利するなど、守備固めの交代が裏目に出てしまったため、人々の批判はアドフォカートの交代策に集中したのです。

 欧州の人間は「日本人には自己主張が足りない」とよくコメントしますが、逆に欧州人は「自己主張が強すぎる。」と僕は思います。日本人は確かに意見を強く主張しませんが、多分に相手の立場や実績を考慮している部分がありますね。
 でも欧州人は相手の立場を顧みず、自分が正しいという意見を言わないと、気がおさまらないのかもしれません。

 アメリカや戦前の日本に見られるように、自分の成功例やスタイルを無理やり相手に押し付ける事は、相手の反発を招くだけで成功には導かないと思います。ですから今内紛の兆しが全く見えないオランダは、まさに本大会に向けて充実した日々を過ごしているように思えます。

 またオランダはセレソンとの間の3つの名勝負を生んでいます。
 まず「空飛ぶオランダ人」クライフのジャンピングボレーが名場面として知られる1974年のワールドカップ西ドイツ大会。この敗戦以後以後94年に4度目の優勝を遂げるまで、ブラジルは試行錯誤を繰り返す形になります。(2-0でオランダの勝利)

 二つ目はオーヘルマウスとベルカンプ、そしてファンホッセンとオランダ伝統の3トップでブラジルに真っ向勝負を挑み、81分ブランコのフリーキックで沈むまで、攻撃サッカーを貫いた1994年ワールドカップアメリカ大会。(スコア3-2でブラジルの勝利)

 この大会負傷でファン・バステンは欠場し、戦術の不一致でグリットもエントリーしなかったオランダですが、底力をまざまざと僕たちに見せ付けてくれました。

 3つ目はPKにまでもつれこんだ1998年のフランス大会(PK4-2、スコアは1-1でブラジルの勝利)87分に同点ゴールを決めたオランダのエース、クライファートの打点の高いヘディングシュートに、僕を含め驚いたファンは多いのではないでしょうか。

 この試合の後ブラジルの指揮官マリオ・ザガロは感極まって大粒の涙をこぼしました。ザガロはクライフの前になす術なく敗れ去った1974年のワールドカップのオランダ戦を体験していたんですね。ワールドカップの主役がブラジルから欧州各国へと移るきっかけとなったこの敗戦を、この日の勝利によって、ザガロは頭の名から払拭することが出来たのだと思います。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

オランダは今まとまっているのか

2010-03-24 17:23:40 | 日記
 世界屈指の強国でありながら、「内紛」という名のお家芸に悩まされてきたオランダですが、現在のチーム状況はひどく良好のようです。本大会に向けて主将のファン・ブロクホルストがインタビューに応じている姿を見ましたが、彼の表情には不安は一切感じられませんでした。おそらく指揮官のファン・マルバイクも手ごたえを掴んでいると思います。

 オランダは1988年の欧州選手権以降、ビッグタイトルから見放されています。
 1990年のワールドカップは、ミランのオランダトリオが大変な注目を集めましたが、エースのファン・バステンはひどく精彩を欠き、ライカールトは西ドイツ戦で、ルディ・フェラーと口論し、彼の顔に唾を吐くという醜態を晒してしまいます。

 1996年の欧州選手権は、白人選手とスリナム出身の黒人選手の軋轢が露見した大会でもありました。
 ワールドサッカーダイジェスト1996年9月号の101ページに、「悲しいことだけど黒人は白人と同等に扱われていないんだ。(中略)われわれ黒人は自分たちを認めさせようと、必死に戦っているんだ。」レイツィハーのコメントが掲載されています。
 
 この欧州選手権と1998年のワールドカップを率いた監督は、今名将の誉れ高いフース・ヒディンクでした。彼も今の名声を築くまでには、こうした厳しい挫折を経験してきたのです。ヒディンクの作る代表チームがこれ以後非常に強固な結束を見せるのは、2度と同じ過ちを犯したくないヒディンクの気持ちが込められているはずです。
 
 ちなみに2000年の欧州選手権では、黒人のライカールトを代表監督に指名したことで大きな話題を集めました。代表はおろかクラブでも指揮を執った経験のない人間を監督に据えたのは、この大会がベルギーとオランダの共同開催に加え、内紛を起こさない為の処方箋でもあったのです。

 そして2002年のワールドカップは予選で敗退し出場できませんでした。
 オランダという最高のエンターティナーが来日しなかったことは、多くのファンを落胆させましたが、一番落胆したのは当然選手達とオランダの皆さんたちです。
 バルセロナとアヤックスで栄華を極めたファン・ハールにとって、この予選敗退は監督経験の中で最初の挫折と言えるかもしれません。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

代表の結束力を高めるには

2010-03-24 00:24:25 | 日記
 2002年5月、日本代表監督フィリップ・トルシエは、ワールドカップ当確と目されていた中村俊輔を落とし、秋田豊と中山雅史のふたりを本戦の23名にエントリーし、日本中を騒然とさせました。

 当時としては異例の出来事と判断されたトルシエの判断ですが、8年の月日を振り返ってみると、彼の判断が決して間違っていなかったことがわかります。
 つまりワールドカップは交代枠を含む14人ではなく、リザーブの選手からスタッフ全てが一枚岩にならないといけない。そのためにはベンチが定位置の選手が腐ってはいけないと。

 ジーコの時がそうでしたね。歴代の日本代表の最強チームと謳われたドイツワールドカップの日本代表。しかし彼らは本戦で最後までまとまりを見せることなく、チームは空中分解しグループリーグで敗退します。

 予選グループ3試合目のブラジル戦終了後、ひとりピッチの上に仰向けに倒れこんだ中田英寿に、手を差し伸べる選手も、ねぎらいの言葉をかける選手もいませんでした。
 中田自身はジーコが監督でなければ、代表を退いていたと発言していますが、もしトルシエ時代の代表ならば、自分の僚友がひとりピッチに佇んでいたら、誰かしら必ず声をかけていたでしょうから。皮肉な話です。

 トルシエはチームの結束力を高めるには、ベンチに座る選手の後方支援が必要な事を十二分に理解していました。だからこそ秋田と中山を招集し、ふたりの力を利用することで、ベンチの選手の不満を表に出さず、結果まとまりをえることができました。

 ジーコの時もこのマネージメントが無かったわけではありません。
 2004年のアジアカップ中国大会。あれだけの罵声が飛び交う中優勝できたのは、三浦や藤田がチームを鼓舞し、控えが多かった選手には積極的に声をかけてまわった。その「気遣い」が日本をアジアの頂点に導いたのに、ジーコはワールドカップの大一番で、その「気遣い」や「自己犠牲」ができる選手を呼ばなかったんですね。
 
 果たして岡田監督は、今回のワールドカップのまとめ役を誰に任せるのでしょうか。
 ベンチが定位置で出場の可能性が非常に低い選手を、どんな言葉で鼓舞し、どんな態度で承認しようとしているのでしょうか。

 裏に回っている選手、スタッフを大切にしない限り、代表の結束力と結果はついてきません。今更ながら岡田監督の人選に、ベンチの選手をまとめる選手がいないことが不安に思えてきました。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする