塚田盛彦のつれづれなるままにサッカー

世界中で親しまれているサッカー。このサッカーをフィルターとして、人間社会の構造に迫っていきたいと思います。

僕がサッカーを好きな理由

2010-03-25 00:35:50 | 日記
 皆さんはサッカーのどこに惹かれていますか?
 僕はサッカーを通じて、「人生の機敏」について学んでいる事で、よりサッカーの持つ魅力に惹かれるようになりました。

 サッカーは僕たちに「失敗の無い人生なんてない。」ということを、常に教えてくれています。
 今僕は仕事で普段なれない部署で期間限定働かなくてはいけないんです。毎日「嫌だな。」と不安を感じながら働いています。だからこそ選手達があれだけの衆人環視の中、汗を流してボールを奪い合うことを本当に凄い事だと思いますし、テレビや通信機器の発達した今、自分の失敗が即座に配信される事を意に介することなく、ピッチに姿を現す彼らに心から拍手を贈りたいですね。

 マラドーナのような有名選手だろうが、ひっそりと表舞台から姿を消してゆくような圧倒的多数の無名選手でも、栄光の瞬間と失敗の烙印を必ず両方経験しているはずなんです。
 僕の仕事は「お客様カード」によって痛烈な罵声を浴びる時もあれば、「助かりました」と頭を下げていただく時と両方あるんですね。ですから形態としてはプロサッカーに通じる所もあるんですが、両肩にかかる負担を比べる事はできません。

 「機敏を学ぶ」ことは生き方を学ぶ事と同意義だと僕は考えます。
 例えばサッキのように、監督時代に花が咲く人間もいれば、ベッケンバウアーのように選手でも、監督でも栄華を極めた人間もいます。中田英寿のようにまだ現役が続けられる年齢でも引退する選手もいれば、バッジョのようにたび重なる怪我を恐れることなく、ひたむきにリハビリに耐えてきた選手もいます。

 両親や教師は親愛の念から自分の子供と他人を比較しがちですが、それは意味の無い事なんですね。でも比較は避けて通れないし、比較を批判している人間も結局どこかで比較を経験していると思います。

 でも「失敗も人生」「躓いたっていいじゃないの」とどこかで自分に言い聞かせれば、少し気持ちが落ち着いて安心感を得られるような気がします。
 僕は小心者で今の売場には最低4日は居ないといけないのですが、これらのことを自分の心に語りかけながら、何とか残りの日数を過ごしたいと思います。

 皆さんも息苦しさを感じたなら、贔屓のサッカー選手の良いところと悪いところの両方を思い浮かべてみると良いと思います。「あの選手も失敗した。でも彼は今も生きている。ならば僕が失敗しても当然だ。でも生きていける。」
 そんな気持ちに芽生えるかもしれません。
コメント
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