塚田盛彦のつれづれなるままにサッカー

世界中で親しまれているサッカー。このサッカーをフィルターとして、人間社会の構造に迫っていきたいと思います。

クラブが良い印象を得るために出来ること

2013-01-18 23:40:35 | 日記
 サッカークラブは政治家同様、地元での基盤がどれだけ強いかが試されます。

 どんなに顔が売れた政治家でも、結局は地元の有権者を頼りにするように、クラブも最後は地域密着というファンの
支持が不可欠です。

 その支援を受けるためにはクラブの成績もそうですが、周囲に訴える印象を常に良くする必要があります。

 それは選手が着用する公式スーツもそうでしょうし、フロントが使う社用車や電話応対など多岐に渡るでしょうし、そ
れらが良い印象として理解されるなら、大きな評価を得られます。

 例えばレッズ。

 今彼らは公式スーツを日本の花菱で作成していますが、数年前はドイツの老舗ヒューゴ・ボスと契約を結んでいました。

 当時ヒューゴ・ボスはレアル・マドリーとバイエルン・ミュンヘンとも契約しており、レッズの視線の先には

 「俺たちも世界と対等に戦う存在になる!」

 という強い意気込みが感じられました。

 F・マリノスなら日産、サンフレッチェならマツダと社用車は恐らくスポンサーから提供された車を使っているのでしょ
うが、ここでもほんの一工夫するだけで印象が変わってきます。

 環境問題が声に叫ばれる今でも、政治家は大型車で国会に出向きます。

 でも同様の事を行ってもサッカーではファンの理解を得られません。

 F・マリノスならリリーフのような電気自動車、グランパスならプリウスやアクアなど低燃費で環境に配慮した車で外出す
ることで、クラブの好感度を上げられるでしょうし事実行動していると思います。

 パルセイロなら軽自動車でアイドリング・ストップ機能が付いたようなものを使うと良さそうです。

 シャトルバスの利用で

 「カーボン・オフセット」

 を促していながら、社用車でそれが出来ないとすれば大きな矛盾になってしまいます。

 これらを偽善と捉える見方もあるでしょうが、僕はこうした取り組みはきっと評価されると思います。
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海外リーグという言葉の陰で

2013-01-18 01:55:54 | 日記
 森本貴幸のUAEへの移籍に驚いた方も多いでしょうし、僕もそのひとりです。

 しかし彼が新天地アル・ナスルで評価に値する活躍を見せたなら、日本代表の選手選考における指針が変わる可能性
もあります。

 「海外組」

 日本のメディアは基本この単語で海外リーグの選手をまとめますが、これは明らかに違います。

 この場合の海外は欧州、それも基本西欧のみを指しているだけで、例えばブルガリアのスラビア・ソフィアに移籍し
た松井大輔の姿をテレビは一切追っていません。

 フットボリスタの2012年10月24日号で、彼の肉声を聞けたのは幸いと言えました。

 ですから森本がアルナスルでゴールを奪う感覚を取り戻し、ザッケローニ体制で招集を受けるまでになったなら、日本
人選手に新しい

 「移籍場所」

 が誕生する形になります。

 MLSやタイ、シンガポールなど日本人選手が懸命にボールを追いかける姿は、例えばサッカー批評やナンバーでは散
見できますが、一般紙では取り上げられることはさほど多くありません。

 シンガポールはアルビレックス新潟の参戦、戸田和幸が移籍したことで注目が集まっていますから、彼らの現状を通じ
て東南アジアを知ることができるのは嬉しいですね。

 例えばKリーグのクラブが近年アジア王者となり、クラブ・ワールドカップに参戦していますが、もしここでの活躍が
認められたら、森本と同様に代表復帰は可能でしょうか。

 レッズから短期レンタルの形で高原が水原三星に移籍し、相応の活躍をみせたもののザッケローニの食指は動きません
でした。

 そして今季はアントラーズの増田が、アジア王者の蔚山現代でのプレイを始めます。

 海外リーグと言うならば、そこに韓国と中国、そして中東も範疇にいれるべきでしょう。

 そうでなければ選手選考における公平感と、他のリーグの対する敬意の問題を指摘されても、返す言葉は無いはずです
が。
 
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自分の決断を信じる力

2013-01-18 01:35:19 | 日記
 皆さんも上司とウマが合わないと悩んでいるかもしれませんね。

 勤めに出ればウマの合う同僚、上司、後輩の方が少ないのでしょうが、上司から何かしらの注意を毎日のように受けて
いますと、その人物の顔色のみをうかがう形になら、精神衛生上よくありません。

 「今日は叱られなかった。良い一日だった。」

 お恥ずかしい事に僕はよくこう思いますが、消極的になってはいけないと思っても、なかなか上手い具合に対処できな
い時があります。

 本来ならば

 「上司はこう考えた。
  でも今僕はこの仕事をしよう。そうでなければ後々時間が足りなくなるはずだ。」

 こう考えるべきですし、時には目を盗んで自主的に動くこともありますが、業務報告だけはするよう注意しています。

 サッカーも、本来ならば監督の指示を忠実の実行するよりも

 「観客が拍手を自然と送りたくなるようなプレイ」

 を選手は目指すべきです。

 ジーコもオシムも常にその点を語り、指示を実行することに忠実になるあまり、サッカーが持つ楽しさと選手が本来抱え
ているであろう想像力をおざなりにしないよう、常に注意してきました。

 でもやはり幼い事から

 「逸脱すれば叱責が待っている」

 と体が反応してしまうのでしょうね。

 日本代表にまで上り詰めた選手たちでさえ、意志力と決断力を持つには相当苦労しその間に指揮官の交代も進んでいます。

 日本社会の秩序は下の人物が上の人物に敬意を払い、言われたことは言われた通りにやることで守られてきた側面があり
ますから、一概にこのやり方を否定できません。

 ただ多くの外国籍の人間が語るように、上司への配慮はほどほどにして自分の実行力を信じることも、サッカーの発展に
寄与するはずです。
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