塚田盛彦のつれづれなるままにサッカー

世界中で親しまれているサッカー。このサッカーをフィルターとして、人間社会の構造に迫っていきたいと思います。

転がっているチャンスをつかむ為に

2013-01-16 22:56:50 | 日記
 サッカーに限らずスポーツは競技だけでなく、貧困からの脱出という側面を持ちます。

 21世紀の現在でもアフリカでは靴下を丸めてボール代わりに蹴飛ばす子供が存在し、中南米では木の棒をバット
代わりに振る子供がいます。

 大国アメリカでも、バスケットボールで成功することは巨額の富とスポーツ・ブランドからの支援を得る、絶好の
機会なのです。

 例えばアレン・アイバーソンはリーボックと

 「終身契約」

 を結んでいますから、アイバーソンが契約を打ち切る意思を見せない限り、両者は常に寄り添った形を維持してゆ
きます。

 アフリカでサッカーをする子供たちは、その多くが渡欧しドログバやバのような活躍をしたいと願います。

 その彼らもジョルジュ・ウエアやマルセル・ドゥサイーに憧れ、彼らはその前に一時代を築いたロジェ・ミラのよう
な輝かしい選手を敬愛してきました。

 アフリカに限らず貧しい地域の子供たちはサッカー成功したいと願いますが、皆が同じスタート地点に立てるわけで
はありません。

 せめてスタートだけは同じ位置で、そこから後は本人の力量やコーチ、監督との出会いに身を任せられる、そんな形
を授けてあげたいのですが、実情は難しいですね。

 僕のようなボンクラは、足下にチャンスが転がっているかどうかの判別すら付きません。

 転がっていたとしても、掴み取るだけの技量と判断力を持ち合わせていないのでしょう。

 例えば僕が3回プチお見合いをしても何ら成果があがらないのは

 「また次回があるさ」
 「別の素敵な女性が現れるかもしれない」

 と、都合の良い思考で自分の不出来を覆い隠そうとしている為で、これは大きな反省材料と言えます。

 「僕たちに今を逃したらどうしようもない。」

 そう呟く子供や両親に何かできることを、僕たちも考えてみたいものです。

 例えばプーマのアフリカ各国をスポンサードする動きやナイキの再生ポリエステルを使ってのジャージ作成が、その
ヒントになると思います。
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パルセイロ。、スタジアム改修を前に

2013-01-16 20:05:18 | 日記
 パルセイロは監督問題の他、南長野運動公園改修時の代替スタジアムの問題が今季はのしかかります。
 クラブは佐久市で急場を凌ぐ模様ですが、僕は長野運動公園で行うべきだと思います。

 その理由とは

 1・長野運動公園ではかつて川崎フロンターレの試合が行われたことがあること
 2・長野市内から佐久市までのシャトルバスの時間と感覚

 にあります。

 僕の住む千曲市から佐久市まではおそらく30キロくらいあるでしょうか、国道を使っても片道およそ1時間はかかると
思います。

 長野からだと恐らく50キロは離れているでしょうから、シャトルの運行は渋滞に巻き込まれれば余計時間がかかります
し、何より

 「何分間隔」

 で運行するかで人の流れが変わってくるに違いありません。

 料金も随分高くなるでしょうし、かといって高速道路や長野新幹線というわけにもいかないでしょう。

 長野運動公園での開催ならば、バスの費用と乗車時間という観点は大きく改善されるでしょうし、現状の篠ノ井駅前や
長野市内のターミナルからの乗車が引き続き可能だと言えます。

 佐久市で行うのあれば、シャトルバスに乗車希望の人間が一堂に集まり、間隔を設けずそのまま向かうという手段があり
ますが、人が溢れた際とどこを集合場所にするかの問題もあります。

 新体制はまだ始まったばかりですし、工事もすぐさま慣行されるわけではありませんので、料金や運行時間はこれから
明らかになるでしょう。

 僕個人としては佐久市での開催がどこか「ピン」と来ない点は間違いないのですが。
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パルセイロの新体制、アントラーズの意図

2013-01-16 19:53:19 | 日記
 本来ならば昨日が長野パルセイロの2013シーズン始動日でしたが、降雪の為今日が初日となりました。

 県内のテレビ局はこの模様を放映し、新監督である美濃部氏の記者会見の模様を見ることが出来ました。

 「将来のJ1昇格とリーグ優勝」

 新監督はパルセイロの未来像を語ってくれましたが、確かに夢を見ることは大事ですが大風呂敷にならないように注意
することも忘れてはいけません。

 ほんのわずかなすれ違いで降格してしまうのがサッカーです。

 もし昨年の今頃、ガンバが降格すると唱えた人物がいれば、その方は大笑いされるかまともに取り合って貰えなかった
はずです。

 アントラーズがヴィッセルから野沢を復帰させ、トニーニョ・セレーゾを再招集した背景には、アントラーズ本来の持ち
味である

 「ポゼッション・サッカーを取り戻すため」

 と、今週号のサッカー・ダイジェストが報じています。

 またダイジェストはドゥトラの移籍にも触れており、今季のアントラーズは彼のようなドリブルが持ち味の選手を必要で
はないと踏まえている模様です。

 「クラブの歩み、歴史を知る人物の招聘」

 これはファンの共感を呼び、同時に再建と言う点を重要視したのでしょう。

 パルセイロは薩川監督と共に、今まで屋台骨を支えてきた小湊コーチがFC琉球に旅立ちます。

 パルセイロが産声をあげた1990年から、小湊コーチはずっと関わってきた生き字引と言える存在で、長野エルザ時代
を知る貴重な方でした。

 確かにクラブはプロとしての歩みを目指しますが、アマチュア時代の苦労と喜びを知る人間が離れることは残念でなりま
せん。

 今からFC琉球戦の日程が楽しみですが、薩川監督とすれば子飼いの選手を引き抜くのは当たり前で、僕とは異なり感傷的
にはなっていないでしょうね。

 
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本命とは別の出会い

2013-01-16 19:41:44 | 日記
 リサイクルストアと一口に言っても、その店舗によって強みと弱みがあります。

 コーチやグッチのようなブランド品に強い店もあれば、吉田カバンやエヴィス・ジーンズのような国産ブランドに
力を注いでいる所もあります。

 中には万遍なく品揃えをしている店もありますが、自分の希望商品を置いてある店舗を把握していれば、時間を有
効に使うことができます。

 逆に言えば自分の商品を買い取って欲しい場合、その店の強み、言い換えれば

 「コンセプト」

 と合致した品であれば、お互い満足のいく交渉になりますし、そうでなければ得られる金銭は少ないものになって
しまいます。

 別の見方をみれば、そうした店舗ではニーズの無い商品が激安で売られていることがあり、丹念に探しているとう唸
るような掘り出しものに出会えます。

 例えば僕は今日よく行くリサイクルストアでイタリアのコルネルアーニのシャツ、エルメネジルド・ゼニアの長袖T
シャツを3桁プライスで見つけました。

 サイズが合わないので見逃しましたが、

 「こんな事もあるのだな。」

 と驚きを隠せませんでした。

 サッカースカウトも随時有能な選手を確保できるわけではありません。

 「今日は良い少年と出会えた」

 と思う日もあれば、当てが外れた日もあるはずです。

 しかし中には獲得を目指していた選手を観察しているうちに、別の選手の輝きに目を奪われることもあるでしょう。

 それは一芸に秀でた選手かもしれませんし、体格に恵まれた選手、ポジショニングが抜群に優れた選手など、様々な
形があると思います。

 だからこそスカウトの方は、長距離移動や気候を克服しながら新しい出会いを求めて東奔西走するのだと言えます。
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野球は直線、ではサッカーは

2013-01-16 02:23:31 | 日記
 ひ弱な僕は野球をする事が嫌いでした。

 ドラえもんの中で、野球をしている場面が度々描かれます。

 投手がジャイアンでのび太が外野手ですが、決まってのび太はエラーをして失点の原因を作ってしまい、試合が終わると
大声でジャイアンから

 「のび太、お前のせいで負けたんだ!!」

 となじられます。

 少なくともこの場面、僕の子供時代と全く同じで上級生屋力のある人間が投手、僕のような出来損ないは外野手という構
図が現実にあり、

 「どうかボールが飛んできませんように」
 「エラーしないようにしないと」

 と守備の際は絶えず緊張していました。

 今はどうかわかりませんが、自分の投球内容を振り返る、好機に点が取れなかったことを問題にするのではなく、ただエラー
をした人間だけに責任を取らせる構図は、僕の心を憂鬱にさせたものです。

 サッカーも野球と同じで上級生や力のあるに人間がFW、僕みたいなのはGKはDFと言うのがお決まりでした。

 でも不思議と失点しても誰も文句を言いません。

 むしろ

 「これからだよ試合は!」

 というように、皆で励ましあってボールを蹴りましたし、冬の寒い時期でもボールを追いかけることは全然億劫ではなく、
体育では女子も一緒に蹴ったくらいです。

 サッカーは感覚的に失点の理由、得点の契機を逸した理由が子供でも理解できるのでしょう。

 あそこで得点できていれば
 あそこで相手にボールを奪われなければ

 こうした気持ちが仲間を慮る形を芽生えさせたのだと思います。

 野球の思考が直線的ならば、サッカーの思考はもっと複雑だと感じるのは前者が大量得点が一気に得られるのに加え、サ
ッカーはどんな得点でも1点は1点だからです。

 つまりひとつのミスが大量点に結び付きかねない野球は、僕のような下手くそが混じっているだけで大変なのですが、そ
の世界は子供を生きにくくしている側面があります。
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