塚田盛彦のつれづれなるままにサッカー

世界中で親しまれているサッカー。このサッカーをフィルターとして、人間社会の構造に迫っていきたいと思います。

ナイキとヨネックス、ヒュンメルの誉れ

2013-01-24 01:01:28 | 日記
 ゼロックス・スーパーカップを戦う広島と柏の胸元に、優勝回数を現す星が増えたのを見るとファンでなくとも興奮しま
すね。

 広島はナイキ、柏はヨネックスが引き続きスポンサードしますが、ブランド側も星を刺繍することは大きなやりがいを感
じることでしょう。

 柏は天皇杯を制覇したことでチャンピオンズ・リーグを戦いますが、ネルシーニョ政権は安泰で噂されていたF・マリノ
スのMF谷口の獲得が正式決定となりました。

 最終ラインの補強として新潟から鈴木を獲得しましたが、チャンピオンズ・リーグではアウェイ・ゴールを含めた不用意
な失点が、勝ち点3を遠ざけてしまいます。

 ネルシーニョ監督は駒が揃っている前線よりも、中盤以降を補強することでより強固な守備網を作ろうとしたのでしょう
ね。

 そして広島は遂に星がひとつ刺繍されました。

 94年のステージ優勝以来、ファンも選手も優勝を味わうことはできませんでしたが、チャンピオンズ・リーグの舞台も
含めてやる気に満ちていることでしょう。

 同じくチャンピオンズ・リーグに進出する浦和と柏と比べますと、その補強は話題性に不足しています。

 森保監督からすれば、既にベースが出来上がっており下手に動けばマイナスの作用を起こしてしまう、そう判断したと思え
ます。

 ちなみにエースの佐藤はヒュンメルがサポートしますが、実はなでしこリーグMVPの高瀬も同じくヒュンメルが契約先な
んです。

 最新の広告では両者が同時起用されていますが、ヒュンメルからすればこんなに嬉しい出来事は無かったのではないでしょう
か。

 佐藤にはアジアでも国内でも厳しいマークが当然付きますが、それはMVPの勲章ですから動じないで欲しいですね。
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サッカーを通じて考える世界情勢

2013-01-24 00:45:54 | 日記
 現在のキューバの礎を築いたフィデル・カストロは、熱心な野球好きとして知られています。

 キューバは社会主義国家である為、アメリカとの国交と通商はなくキューバ代表が大リーグに在籍するには、家族を捨て
亡命するほかありません。

 ただ僕自身、カストロは社会主義と導入しましたが、その矛盾点は在任当時から既に気づいていたと思います。

 その矛盾点とは「序列」についてです。

 僕が唱える社会主義、それは階級を是正しすべての人間が対等に向き合うものです。

 そこには書記長という国の代表もなければ、一般市民から末端にいたるまで同じ立ち位置でなければ不可能なのですが、実
際はそうではありません。

 富める者もいれば、貧しい暮らしの者もいます。

 確かに授業料の免除と医療費が無料であることが、国民生活の根幹を成していることは間違いないでしょうが。

 野球は国際試合が少ない競技ですが、五輪とワールド・ベースボールクラシックで好成績を得ることは、キューバ国民にとっ
て素晴らしい出来事ですし、カストロも同じ気持ちです。

 野球は少なくとも先発にエース級を揃えるわけですが、一番大事な試合、例えばアメリカ、日本と戦う決勝の際にはその中で
も最も信頼できる投手がマウンドに上がります。

 つまりスポーツの世界では社会主義が唱える平等主義はまかり通らず、確実に

 「階級」

 言い換えれば序列、先発と控えに分かれるわけです。

 ですので社会主義が世界で廃れるのは、僕自身は当然の帰結だと思います。

 アジアでもベトナムは社会主義国ですが、そこまでがんじがらめの政策はとっていません。

 ベトナムは近年コーヒー豆の生産が盛んで経済的に潤っており、サッカーへの関心も高いですね。

 恐らくベトナムのサッカーファンも、サッカーを通じて意思とは関係なく序列というものを自然に受け止めていると予想しま
す。

 サッカーが世界を映す鏡であるならば、旧ソ連の解体も頷けますし僕は優れたフィルターの役目を担っていると思います。
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会話の題材にサッカーを

2013-01-24 00:36:24 | 日記
 サッカーが話題の切り口として最適だと思うのは、年齢と性別を問わない点でしょうか。

 例えば僕のような30代後半の男性が、女性アイドルのコンサートに出かけたことを勤務中同僚に話せば、何かおかしな
顔をされるかもしれません。

 また伝統芸能である歌舞伎や狂言は素晴らしいと思って貰える反面、鑑賞経験が無い方も案外多いと思いますし、事実僕
がそうですからね。

 「昨日家族でサッカーを観戦してきたよ。」
 「お父さんにサッカーに連れて行ってもらった。」
 「孫とサッカー場に出かけたんだよ。」

 人によって切り口は様々でしょうが、そこに後ろめたさや理解を求める必要性は感じません。

 それは話された側もサッカーがどんな競技かを理解していますし、競技場に多くのファンが詰めかけていることもそうです
ね。

 これが女性アイドルのコンサートならば

 「いい大人がよく出かけられたね。」

 と冷ややかな視線を浴びるかもしれませんし、少なくとも僕の周辺では好意的な声は聴かれないでしょう?

 「楽しめた?良かったね。」
 「お弁当はおいしかった?」
 「電車とバスは込んでいなかった?」

 と相手も相槌は打ちやすいでしょうし、勝敗や天気だけでなく話題も降りやすいですね。

 ブラジルのように国民すべてが代表監督と呼ばれる国もあれば、オランダやスペインのように常に戦術の話題がカフェで繰り
ひろげられる国もあります。

 今日本は彼の国達と情報量では肩を並べるでしょうが、おしゃべりと言う点ではもう一歩でしょうか。

 クラブの監督、代表監督ははた迷惑に感じるでしょが、日常会話でサッカーが語られるようになれば日本の印象も随分変化す
ると思います。

 
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