塚田盛彦のつれづれなるままにサッカー

世界中で親しまれているサッカー。このサッカーをフィルターとして、人間社会の構造に迫っていきたいと思います。

悪天候で試合の延期が重なったなら

2013-02-18 14:50:06 | 日記
 僕のスーパーのように冬物衣料が余っている店舗は、今日の降雪は有難い反面「集客」という点では難しいですね。

 僕は今日、明日2連休で家の雪かきをしましたが、日本特有である水分を含んだ雪というのは厄介な代物で、外国の雪は
もっとさらさらしていると聞きました。

 Jリーグのシーズン移行の問題でこの雪というのを、どう捉えるかでその様子は大きく変わります。

 「夏場のように選手が疲弊しない」
 「サッカーは元来ウインタースポーツなのだ」

 という前向きな意見もあるでしょう。

 ただ寒風の中、暖をとれない観客は試合途中で帰ってしまうかもしれませんし、今日のように雪の日なら猶更です。

 またマイナス点として考慮されるのは

 1・電車、シャトルバス、飛行機の遅延
 2・スタジアムで足を滑らして怪我をしたファンの治療
 3・降雪で試合が延期になった際の新しい日程とチケットの扱い

 が挙げられます。

 昨年、長野パルセイロが栃木ウーヴァFC戦でしたか、落雷の影響で試合が延期になったように、自然現象というものは何
時の時代も僕たちの生活に大きな影響を与えます。

 仮に降雪、悪天候で試合が延期し、リーグが新しい日取りを両クラブに連絡し、入場券はそのまま使えると仮定します。

 その順延日も再び悪天候で視界も定まらないような大雪になったなら、その試合は強行するのでしょうか、それとも選手と
ファンの安全を優先し、再び延期にするのでしょうか。

 日程はどんどん詰まっていく形になりますし、審判団とマッチ・コミッショナーには難しい選択となります。

 「卵が先か鶏が先か」

 のの議論ではありませんが、リーグのクラブが降雪に限らず悪天候の場合でも開催可能な施設を持つ、その為の準備期間と
資金をどうするか。

 こちらが先でも構わないように思えます。
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ギャップがあるかないかで異なる受け取り方

2013-02-18 02:00:19 | 日記
 文庫版「池袋ゲートパークⅣ 電子の星」は、東口ラーメンラインでスタートします。

 その18ページに以下の言葉が筆者の石田衣良さんによって綴られています。

 「人口はだめで天然ならいいとかな。
  しっかりとだしを取ったスープに、ほんのわずかつかうと化学調味料はいい味をだすんだよ。まるで別物になる。」

 僕はこの一文を読むと、昨今のサッカー事情を重なる面が見えてくると思います。

 メディアの報道を全て受けいれるならば、モウリーニョほど独善的で支配的な指揮官は存在しませんし、彼は常に何か
と敵対していなければ気がすまない人物です。

 だからこそ、彼が見せる微笑みは素直に嬉しい出来事があったのだとわかります。

 また、フランク・ライカールトはベップ・グアルディオラのように、普段から温厚で記者の揚げ足取りのような質問に
も懇切丁寧に答える指揮官もいます。

 そんな彼れが激怒した表情で質疑応答に臨んだとしたら、周囲はどんな反応を見せるでしょうか?

 「ベップがこんなに怒った表情は見た事が無い、何があったのだろう?」
 「物腰の柔らかいライカールトでも、激怒することがあるのだだ。」

 と、記者は通常よりも高い集中力で会見に参加するはずです。

 普段見せない表情、言葉遣いが時折でいるからこそ、監督の記者会見は皆が群がるのかもしれません。

 常に怒っている監督が怒っても記事にはなりませんし、温厚な監督が丁寧に会見に応じてもそれはいつもの光景を何ら
変わりません。

 冒頭でお伝えした一杯のラーメンが見せる表情の違い。

 僕らの日常で例えるならば「ギャップ」を見せられた時に、ファンはクラブ、代表問わず監督の発言に真摯な意見を伝
えるようになる気がします。
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