塚田盛彦のつれづれなるままにサッカー

世界中で親しまれているサッカー。このサッカーをフィルターとして、人間社会の構造に迫っていきたいと思います。

ファンがフロントに要求する時の姿

2014-09-06 23:35:13 | 日記
 皆さんは服を買う際に、「お直し」を考慮して購入しますか?

 裾上げは当然行いますが、袖丈詰め、着丈詰め、ウエストの修正など、お直しと言えどもその種類は幾つもあります。

 最近ではファッション誌が

 「お直しの店ここが凄い」
 「お直しで劇的リフォーム」

 というように、以前購入した古い品をお直しで「今風」にする特集を組みます。

 お直しをして大切にすることは大事ですが、一方でどうやっても行えない直しもあるんです。

 以前そのお直しは出来ないのですとお断りしても、また同じ方が来店され、以前お断りした直しを依頼されることが多々あるのですが、これでは僕たちもまいってしまうのです。

 それお直しの部署から出来ない理由を聞き、かみ砕いてお話しているとこちらは思っていますが、正直難しいですね。

 「最初が肝心」
 
 というわけですが。

 サッカーも、フロントがファンに対して説明することは沢山あると思いますが、要望があっても現状では出来ない、手を付けられない事があるのなら、正直に伝えた方が良いでしょう。

 それは資金の為かもしれませんし、人手の問題かもしれません。

 出来ない理由はクラブによって異なると思いますが

 1・出来ない理由を丁寧に説明する
 2・もし見通しが出来るようならば、出来るであろう時期を告げる
 3・またファンも出来ないからといって、批判をしない

 という3点が不可欠かと思います。

 ファンが問題行動を起こせば、チェアマンたちに謝罪するのはフロントなのですから、時にファンが行動をも守る事があっても良いと感じます。
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日本代表、0-2でウルグアイに完封負け

2014-09-06 00:27:56 | 日記
 昨日のウルグアイ戦、アギレ政権は既報通り4-3-3の布陣でスタートしました。

 本来センターバックの森重を中盤の底、逆三角形の下で用いたのは酒井と長友が同時に攻撃参加した際の保険、つまり森重が最終ラインに流れることで、3バックを形成する為でした。

 つまり4-3-3が2-5-3になって攻撃に厚みを増す。

 という意図があったのでしょう。

 早い段階から田中順也を招集することが知られていましたが、レフトウイングで起用されると思っていましたが、実際はインサイド・ハーフでしたね。

 アギレ監督は岡崎と本田を両翼に、初招集で話題を集めた皆川で3トップを組みましたが、本田の調子は良くないと感じました。

 僕は

 1・プレイメイカーがいなかったこと
 2・そのためボールの回り方が散発的

 と見ましたが、皆さんはどうお考えでしょうか?

 皆川と坂井が先発起用されたことで、札幌ドームからはどよめきが起こったと聞きました。

 でも、新監督が就任すれば、新しい選手、自分が刺殺を繰り返し、代表に相応しいと感じた選手を起用するのは当然だと思います。

 アギレ監督の胸中は

 「ウルグアイは強国の為、まずはワールドカップ経験者を重用しよう」
 「2018年に向けて再準備のヴェネズエラは、新戦力を豊富に使える恰好の相手」

 と感じていると推測します。

 次戦は森岡の起用もあるでしょうし、左翼に武藤、中央に皆川という布陣があるかもしれません。
 
 確実に言える事は、さすがに1試合敗れただけで指揮官の是非を問うんは、アンフェアということでしょうか。
 
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遊びの中から得られる発想

2014-09-06 00:19:00 | 日記
 物事を練習する、初めて習い事に参加する時は、生真面目に取り組むよりも遊んだ方が良いように思います。

 僕はエクセルとワードを自宅で練習しますが、今は教本を読む事を止め、新しいウインドウを開く、アイコンをクリックするというように、遊びながら吸収するようにしています。

 つまり

 「教本通りに進まない」
 「周囲に疑問点を尋ねる人物がいない」

 というストレスを感じなくて済みます。

 つまり、遊びですから「まあ、いいか」と思えますし、深刻に考えずに済むのです。

 僕が小学校の頃、放課後サッカーをしている時も余計な事を考えず、ただボールとボールを持つ同級生だけを見ていました。

 遊びですから、自分の発見を大事に出来ますし、出来ないからといぅって落胆しませんし、今感じた事を大きな声で叫んでいました。

 バスケットボールならば3ON3、サッカーならストリートサッカー。

 今はどこの都市化が進み空地も無い状態ですが、ストリートは自主的な発想で自分を高める事が出来、沢山のアイディアが生まれる場所でした。

 ですから1974年ワールドカップ決勝で鎬を削ったクライフとベッケンバウアーが、ストリートサッカーの衰退を嘆いているのは、自身が戦後の焼け野原の中、夢中でボールを蹴っていた為です。

 僕個人の技量は、到底皆さんに追いつきません。

 それでもこうして自分なりに練習をすると

 「僕も折り畳み式からスマートフォンにしてみようか」
 「タブレットについて調べてみよう」

 と、考えが沸くものです。

 これも他人からの教養では無く、自分の中から沸き起こったものだからこそ価値があるわけで、サッカーも遊びの要素を忘れては損をしますね。
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