塚田盛彦のつれづれなるままにサッカー

世界中で親しまれているサッカー。このサッカーをフィルターとして、人間社会の構造に迫っていきたいと思います。

基本を忠実に守る大切さ

2016-10-18 01:42:06 | 日記
 僕は少なくとも、業務上でファンダメンタルを疎かにはしていない、という自負はあります。

 自分が使った道具は自分で片づける
 整理整頓を欠かさず、不要と判断したものは処分する
 ゴミ袋は率先して、新しいものに交換する

 でも、僕の部署ではこれらの基本事項ができていないことが多いのです。

 やらない人間がいるから、僕が行う、僕が行うと判断するからやらなくても構わない

 という図式なのかどうかわかりませんが、サッカーでもそうですが、他の人がやってくれる、という考えでは必ずスキが生じます。

 ジーコもきっと同じようなジレンマを日本代表時代に感じていたのでしょう。

 ジーコはアントラーズ時代、とにかく些細なことまで細かく注文し、改善を要求し続けました。

 しかし、代表監督就任以後は、あべこべに口を挟むことがなくなります。

 私が選んでいるのは、日本人で最もたくましい23名なのだ
 だから、私が言わずとも、彼らは選手として高い意識を持っている

 そう考えていたに違いありません。

 一方で自分が口出しすることで、選手がいら立つという軋轢を回避したかったのかもしれません。

 セレソンのテクニカル・ディレクター時代、、ロマーリオからの問いに辟易していましたし、日本人選手はどこか繊細ですから、重圧を避けたいという思惑もあったと思います。

 でも、選手たちは移動時間はゲームに没頭し、ジーコから見れば物足りない生活だったようです。

 それでもジーコは我慢して信頼し続け、その結果が

 「フィジカルが足りなかった」

 というドイツ大会以後の総括になりました。

 もしジーコがアントラーズ時代のように、大声で改善点を促したならば、結果は違っていたのか、僕は今想像していますが、彼はそれは私のスタイルではないと拒んだでしょうが。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

過去と現在に語る材料はあるだろうか

2016-10-18 01:14:36 | 日記
 「モリヒコ、何やってんだよ!」

 ああ、この響きは久々に聞いた、懐かしいなあと感じました。

 小学生から中学生の時、僕は今ほど人付きあいに対して臆病ではなく、親しい間柄の友人は下の名前で「モリヒコ」と呼んでいました。

 顔みしりではない
 他のクラブでも勝手にそう呼ぶ人物がいる

 事はありましたが、それほど不快は気持ちはしませんでした。

 高校に進学し、クラスにも校風にも馴染めない僕に、一人だけ親切にしてくれる女性がいて、その女性は僕のことを「モリヒコ」と名前で呼んでくれました。

 哀れみだっただけなのか
 他に理由があったのか

 それは僕にはわかりませんが、先週土曜日、高校の同期会で20年ぶりにその女性の顔を見て、そう語りかけてくれた時のうれしさ、懐かしさはとても感慨深いものでした。

 でも、彼女は今も昔も人気者で、それほど長い時間話せたわけではありません。

 僕には当時も今も、彼女に話す材料もなかったのですが。

 かつて欧州サッカーにG14という、ビッグクラブの団体がありました。

 ユナイテッド、バルサにレアル、ミランと絢爛豪華なクラブが彩る中で、異彩を放っていたのがリヨンです。

 なぜ異彩といえば、リヨンは当時絶頂期で、リーグ1を席捲していたものの、肝心かなめのチャンピオンズ・リーグ優勝はできていませんでした。

 他のクラブはみな、ビッグイヤーに口づけをした経験を持ち、通常でしたら怯む、音頭は取らないものですが、ジャン・ミッシェル・オラスは、その野心を隠すことなく参加したものです。

 1967年のセルティックの優勝など、覚えているファンの方が少ないといえます。

 それでも彼らは選手たちを今でも「リスボン・ライオンズ」と賞賛し、語り続けています。

 それだけチャンピオンズ・リーグ優勝の意義は大きいわけですが、オラスのように風を切って歩く度胸は、僕も参考にせねばなりません。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする