塚田盛彦のつれづれなるままにサッカー

世界中で親しまれているサッカー。このサッカーをフィルターとして、人間社会の構造に迫っていきたいと思います。

アディダス、今年もユナイテッドのスニーカーを発売へ

2016-10-23 23:13:51 | 日記
 成績はイマイチでも、グッズの販売は顕著な伸びを示す、という矛盾がサッカーでは見られます。

 フットボールウエブ・マガジンによると、アディダスは昨シーズンと同様に、マンチェスター・ユナイテッドとのコラボレーション・スニーカーを発売するとのことです。

 今季はユナイテッドの代名詞である、サー・ボビー・チャールトンに敬意を払う一足で、外見は名品「サンバ」のような印象を受けます。

 驚くことに、昨年のスニーカーは13万円まで価格が吊り上がったそうで

 転売目的で購入する人物
 流行だけを気にして買った人物

 が多数存在したようです。

 アディダスに限らずスニーカー人気は世界的で、日本企画の人気商品がいくつもありますよね。

 例えばコンバースがそうで

 1・タイムラインで復刻したウエポン
 2・アディクトラインで発売するチャックス

 がそうです。

 またパトリックやスピングルムーブなどの国産スニーカーも、その品質から多くのファンがいますし、パトリックが再度フランスで生産を始めたことも、大きな話題になりました。

 ナイキもネイマールとジョーダンという、ダブルネームでスニーカーを発表しています。

 限定品は数が少ないからこそ限定品ですが、

 本当にほしい人間が買えない事実
 勿体なくて履きたくても履けない

 事があれば、それは本末転倒です。

 受注生産を含む、販売体制は考えるべきかもしれません。
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カインとアベルを通じて思う長野サッカー

2016-10-23 22:59:19 | 日記
 フジテレビが月曜21時から放送しているドラマ「カインとアベル」

 幼少時から父の寵愛を一身に受け、容姿端麗、成績優秀の兄と父からは見向きもされない弟という、対照的な兄弟を軸に話は進むと聞きました。

 この対照的な兄弟というのは古典的なのか、スタインベックのエデンの東も同様ですが、このギャップが読者と視聴者の関心を惹くのでしょうね。

 ああ、長野パルセイロと松本山雅も同じような形だなと感じるようになりました。

 この場合、優秀な兄の方が当然山雅になります。

 事実、クラブとしての歴史も彼らの方が古いですし

 1・アディダス、エプソンを筆頭に有名スポンサーの獲得
 2・既に1部リーグを戦った経験があり、日本代表候補も生み出している
 3・スタジアムの稼働率の高さは日本でも屈指である

 という3点は、やはり素晴らしいですよ。

 僕の父はいつも

 「あんなに立派なスタジアムを作ってもらって、この成績か、ざまあねえな」

 と言います。

 何だか、パルセイロを通じて僕をなじっているように思います。

 40歳、独身、今も恋人がおらず、結婚の見通しもなければ交際相手の影すらない

 ざまあねえな

 というわけで、パルセイロ・ファンが自嘲気味に「持っていない」と語るのもわかる気がします。

 エデンの東はジェームス・ディーンが主演で映画になり、豆の売買で一山あてた弟が父に報告にいくも、アコギな商売で得た金を父親は見向きもしないまま失跡します。

 パルセイロにはパルセイロにしかない個性があるわけですが、一方で勝利、J2昇格という道ほどに示しがつかなければ、その長所さえ見向きもされない、という事実があることも確かだといえます。
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基礎を省いてどこへ行く、という風潮は何か

2016-10-23 01:26:23 | 日記
 皆さんの職場にも20代前半の若い従業員がたくさんいるでしょうね。

 僕が思うに、彼らの多くは基礎を省くことを良しとする風潮があるように感じます。

 すべてをパソコンで済ませる
 店内清掃や備品の整理は誰かほかの人間が「勝手に」やるさ

 というある種の傲慢、言い換えれば自分が手を汚したくないことを、他の人間がやることを期待しているのは、年長者よりも彼らの方が大きいといえます。

 僕もこうした方がよい、と感じたことを幾度か指摘したことはあります。

 「ああ、そうですよねえ」

 という返事は口だけで、後は以前と何ら変わることはありません。

 基礎を省く、言い換えれば世間が雑用と蔑む事柄をしておかなければ、彼らが責任者になった際にその業務の重要性を説くことができないわけですが、どうやら彼らにそんな不安はないようです。

 レイストン・ドレンテやレナト・サンチェス、メンフィス・デパイのように、メガクラブからのオファーを即決で受ける選手がいます。

 デパイは確かにPSVでリーグ優勝、得点王に輝きましたが、クラブは売却で得る資金を得るほかにも

 「ここにもう少し留まりな」
 「勢いだけで成績は持続しないよ」

 と語りかけても良いと思います。

 語りかけても僕のように無視されるかもしれませんし、代理人の影響が強い今、ラヒム・スターリングのような移籍を強行する態度を示す選手も多くなりました。

 そんなに自分に自信があるのか
 そんなにメガクラブに行きたいのか

 彼らが報酬とチャンピオンズ・リーグ以外の事柄に、もっと気を配るべきではないでしょうか・
 
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フランス・フットボールにみる、中庸という形

2016-10-23 01:15:28 | 日記
 フランス・フットボールは代表監督をすぐさま批判しない方針であることを明言しています。

 それは、彼らが代表監督に意見しない期間を設けることで、代表監督は自分が見極めた選手を使い、同時にフィットネス、タクティクスの導入を推し進めることができるためです。

 僕は昔、ワールド・サッカーマガジンに掲載されていたジャック・ティヴェール氏の、あまりに美しいコラムを読んで

 「こんなすごい方が働くフランス・フットボールは凄いなあ」

 と感嘆していたものです。

 では、このスタイルが納得できるものであるとすれば、どこに理由があるのでしょうか?

 日本にもコメントが鋭い、歯に衣着せぬ物言いをすると評判の人物がいます。

 しかし、彼らが守勢、言い換えれば批判する立場から、批判される立場になると、滑稽なくらいみっともない姿を見せるから、だと思います。

 僕は批判も意見もしない方ですが、それは

 人間は誰しもがミスを犯す
 中庸という言葉に意味がある

 と考えているからで、僕の意見で誰かが夜、満足に眠ることができないとすれば、それは手段が間違っています。

 フランス・フットボールは中庸、言い換えれば指摘する内容を吟味して記事を制作している点が特徴であり、フランス・ワールドカップで徹底的にジャッケを攻撃したル・キップとはそこが違う

 と勝手に判断しています。

 ですから勝敗に関係なく、常に攻撃的な発言が多いモウリーニョは、むしろ清々しい態度で会見に臨んでいる、という見方もできると僕は感じます。
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