塚田盛彦のつれづれなるままにサッカー

世界中で親しまれているサッカー。このサッカーをフィルターとして、人間社会の構造に迫っていきたいと思います。

改めて思うロシアの気候と風土

2017-07-01 00:28:23 | 日記
 日本は梅雨で傘が手放せない時期です。

 コンフェデレーションズ・カップに参戦しているオーストラリア代表は、8月31日が大変な酷暑であると見通し、J1でプレイする選手を多く招集すると囁かれています。

 その中には先日までFC東京に在籍していたネイサン・バーンズの名前も確認できましたね。

 サッカーにおける守備の通説に

 マンマークからゾーンの切り替えに違和感は少ない
 一方でゾーンからマンマークへの切り替えは、非常に難しい

 があります。

 では、戦術面ではなく気候、風土面はどうなのでしょうか。

 仮に日本がロシア・ワールドカップに出場するとします。

 1・陽射しの強い日本ではどの程度練習すべきなのか
 2・合宿地はどこに設けて、何日滞在した後のロシアへ移動すべきか
 3・そもそも今の時期、ロシアの気温はどの程度なのか

 など、把握することは多いと思うのです。

 ロシアはウクライナやクリミア、南オセチアなどで火種を抱えていますし、ロシア周辺諸国であればジョージアやポーランドあたりが似た環境と推測します。

 ただ、涼しい国が暑い国へ移動するよりも、暑い国が涼しい国へ移動するほうが、心身への負担は少ないように思えます。

 ロシアへオーストラリアの偵察へ向かったハリルホジッチ監督は、気候に関しても帰国後に感想を述べるべきでしょうね。

 ちなみにコンフェデ杯のコラムを読むと、警備やボランティアの方はマスメディアに大変親切であり、僕らが勝手に抱きがちな

 「ロシア語しか話さない」
 「冷たい印象を残す」

 という発想が打ち消されている面は多いようです。
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女性に対する価値観。変化の兆しはみられるが

2017-07-01 00:09:00 | 日記
 時々、母がこう漏らします。

 「母ちゃんも、じいちゃんとばあちゃんにもっとかまって欲しかったよ。」
 「そうしたら今頃、苦労せずにもっと常識を知っていたかもしれない」

 母が誕生した昭和20年代前半は、当然戦争の名残強く、国民の多くが第一次産業である農業に従事し、現在のように大学へ進学できる人間はごくわずかでした。

 幼少期、母の実家に行くと、葡萄の栽培から蚕の飼育まで手掛けており、今から思うと祖父母、母からすれば両親が時間に追われていたことは容易に想像できます。

 ましてや当時の価値観は

 女性は結婚、出産で家族の核となる
 進学はせず、就職して職場で巡り合いを果たす

 という観念だったはずです。

 でも、母は携帯電話もパソコンも出来ない反面、鍬や鎌を器用に操りますし、肥料の見分け方から雑草取りまで、それは堂々としています。

 これらの道具を原始的と思うのかどうかは個人の判断ですが、

 「パソコンを操れることは素晴らしい、同様に鍬で畑を耕せることも素晴らしい」

 と考えるべきではないでしょうか。

 なでしこリーグの選手たちは、セミプロ、仕事と練習を掛け持ちして試合に挑む日常を繰り返します。

 高倉日本代表監督はリーグの黎明期を知る方ですが、裾野は広がったが待遇そのものはもっと改善されるべき、と感じているように思います。

 マラドーナが権威、例えばヴァチカンに

 「建築物の金箔をはがし、貧しく飢えている人間を救え!」

 とかみついたのも、自分が貧しいことだけでなく、契約書やインタビューで自身が納得できない文言や単語が並んだため、と勝手に想像します。
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