塚田盛彦のつれづれなるままにサッカー

世界中で親しまれているサッカー。このサッカーをフィルターとして、人間社会の構造に迫っていきたいと思います。

セレッソ大阪、プーマとの契約を終えることに

2024-11-29 20:32:36 | 日記

 セレッソ大阪が、10年続いたプーマとの契約を満了、更新しないことを発表しました。

 

 プーマ以前はミズノであり、その影響もあったのでしょう、1軍合流の際香川真司は現在のようにアディダスではなく、ミズノを着用していたものです。

 

 プーマ時代のハイライトは、やはり2017シーズンでしょうか。

 

 ユン・ジョンファン監督率いるセレッソは

 

 天皇杯とヤマザキ・ルヴァンカップで優勝

 センターフォワードの杉本健勇は、この活躍で日本代表に招集

 

 というように、プロ化してから最高の1年でした。

 

 セレッソは大阪は2部降格も数多く経験していますし、とくに2005シーズンは最終節まで首位でしたが、優勝したクラブはお隣のガンバ大阪という皮肉な結果でした。

 

 2005年リーグ優勝のガンバ大阪は、これが初優勝

 もしセレッソ大阪が優勝していても初優勝

 

 という記念のシーズンでしたがね。

 

 セレッソ大阪はプーマとの契約を終えたことを明らかにしていますが、新契約の詳細はまだわかりません。

 

 ジュビロ磐田とアドミラルのような、意外性の契約か

 それともアディダスやナイキのような大手になるのか

 

 今後の発表が楽しみですね。

 

 逆にアシックスとの契約が続行すれば、ヴィッセル神戸の契約更新年数は、リーグ最多年数ではないでしょうか。

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1990年代のジーパンとサッカー

2024-11-29 15:24:58 | 日記

 1992年のヤマザキ・ナビスコカップを皮切りに、日本サッカーは大きく変動してゆきます。

 

 それはジーパン産業も同様です。

 

 初期のドウニームは1988年、ダルチザンに至っては1979年から、往年のリーバイスを目指した商品が開発されてゆきます。

 

 また90年代初頭はエヴィス、フルカウント、シュガーケーン、ドライ・ボーンズなど、2024年の現在でも多くのファンがいるジーンズブランドが誕生しています。

 

 ちなみにウエアハウスが現在、ドウニームを生産、企画し、同時に派生したリゾルトも、そのきれいなシルエットで知られていますね。

 

 リーバイスとラングラー、リーがそれぞれ自社の復刻盤、つまり50年代の名品を考慮するようになったのも、この時期です。

 

 プロサッカーは1994年の米国ワールドカップを逃すも、現在まで様々なアクシデントがありながらも、生きています。

 

 ただ、1993年のプロ開幕、ヴェルディ川崎と横浜マリノスの試合を観戦しながら

 

 「もう5年早く誕生してほしかった」

 「そうすれば、僕もアマチュアではなくプロだったかもしれない」

 

 と思う元選手が多くいたことも事実でしょう。

 

 当時の日本代表指揮官、ハンス・オフトは自分の考える代表練習と戦術の設定に、背番号10のラモス瑠偉が反発していることに気をもんでいました。

 

 そのわだかまりを仲介したのは、代表キャプテンの柱谷哲二でした。

 

 それだけプロというのは、自分の主観、意見を大事にする必要があると思いましたし、現在のバスケットボール日本代表も、この時に日本代表と同様に、米国でプロが生まれたための過渡期なのではないでしょうか。

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昨日、ビッグジョンのジーパンを買って

2024-11-29 15:16:14 | 日記

 日本のジーパン産業は、本場米国から関心が寄せられるほどの高品質で知られています。

 

 岡山で織られるデニムは、エルメスに納品されるほどの品であり、カイハラデニムの存在はすでにメゾンでも欠かすことができません。

 

 ただ、日本製ジーパンのすごさは今に始まっているわけでもないですよね。

 

 僕は昨日「ビッグジョン」、紙タグが外れて年代はよくわかりませんが、恐らく1990年代と思われるレギュラー古着を買いました。

 

 赤耳がついている、特別な織りではない

 従って当時の小売り価格も高値ではない

 

 であろう、普通のジーパンにもかかわらず、素晴らしい風合い、色落ちなんですよ。

 

 よくジーパンの資料に、初めて「ワン・ウオッシュ」、つまり一度工場で水洗いを施し、裾直しを簡単にする方法を考えたのは

 

 エドウインのワン・ウオッシュ 1963年 

 ビッグジョンのビッグ・ウオッシング 1968年

 

 とあり、どちらも「初」と書いてあることが多いはずです。

 

 どちらにせよ、それだけ日本のジーパン産業が画期的であり、それはボブソンの04ジーンズ、キャントン・デニムやブルーウエイも同様なのでしょう。

 

 この1960年代の大きなうねり無くして、日本のジーパン産業の根幹はないと思うのです。

 

 それは現在のJリーグが、読売クラブ、日産自動車、古川電工という日本サッカーリーグが根幹となり、こんおアマチュア時代がなければ、プロの土台すらなかったという点です。

 

 アマチュアリーグでも、三菱が2部にいたこともあるように、観客動員が限られていても、選手たちは仕事と練習、試合を掛け持ち、日程的に相当窮屈だったに違いありません。

 

 だからこそ当時のジーパンもサッカーも、見直す価値があるのではないでしょうか

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AC長野パルセイロ、募金活動を行う

2024-11-29 11:00:55 | 日記

 AC長野パルセイロのGKコーチ、シュナイダー潤之助氏が前立腺がんのため、闘病中であることが明らかとなっています。

 

 AC長野パルセイロは公式ホームページにおいて、支援募金口座の解説、クラブの募金活動を報告していますが、他のリーグと異なるのは、宿敵である松本山雅FCや、他のクラブでも同様の試みをしてくださることでしょうか。

 

 先日、スペインのバレンシアが大洪水に見舞われ、バレンシアの選手たちが沈痛な気持ちとなりましたが、ラ・リーガは運営上と日程を考慮し、試合を強行して配慮が足りないと批判されました。

 

 多くのクラブもバレンシアに同調しましたが、これは「クラブ」という組織の形であり、「個人」というわけではないですよね。

 

 イタリアやネーデルランドでは

 

 宿敵クラブに対して怨嗟の声

 海外遠征でファンが乱暴狼藉

 

 など、物騒な話が多く、敵クラブの関係者のために、募金行動を行うという話は少なくとも聞いたことがありません。

 

 もちろん他界したスベン・エリクソンのように、ラツイオとASローマの両クラブで関係を深めた指揮官ならば、両クラブから追悼の声が挙がるのも当然ではあるのですが。

 

 このように「日本的発想」がすべてではありませんが、この選手、コーチという人命のために、という考えは、世界的に大きな価値観があるのではないでしょうか。

 

 シュナイダー潤之助コーチが、その気持ちを一番わかっていると思いますしね。

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日本代表のFIFAランキングから

2024-11-29 10:52:39 | 日記

 日本代表のFIFAランキングが15位と発表されました。

 

 アジア各国の中では当然の事ながら最上位であり、他国からは

 

 「既に欧州と同様だ」

 「日本代表がワールドカップに不在は考えられない」

 

 という声がある様子です。

 

 明治維新の時代、明治政府は「脱亜入欧」を掲げ、不平等条約の撤廃から廃藩置県、鹿鳴館の誕生など、いかに政治と生活習慣を欧州に近づけるかを掲げます。

 

 それはそうでもしない、つまり欧州から「舐められている」現状をどうにかしなければ

 

 隣国「清」のように、完全に欧州に飲み込まれてしまう

 また北上には、ロシアという難敵もいる

 

 という強い危機意識もありました。

 

 脱亜入欧はある意味で、日本が江戸時代まで培ってきた土壌、文化を押しつぶしてしまう形でしたが、サッカーはそうではありません。

 

 日本サッカーがプロとなっても、そのプロが海外に目を向けても、その存在意義があるからこそ、日本代表のランキング15位があることを、僕たちは思うべきだと思うんですよ。

 

 むしろ日本代表の資産価値がもっと上昇するならば

 

 ポルトガル代表がプーマと電撃的に契約

 ドイツ代表がナイキと電撃的に契約

 

 というように、より大型契約が舞い込み、その収入が協会の運営費用として採用される、育成や環境整備につながる、かもしれませんよ。

 

 お金は本当に有効活用すべきですから。

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