塚田盛彦のつれづれなるままにサッカー

世界中で親しまれているサッカー。このサッカーをフィルターとして、人間社会の構造に迫っていきたいと思います。

ロドリという選手の個性

2024-11-05 21:36:22 | 日記

 ロドリは現代の選手が情報発信として使用する、SNSを開設していません。

 

 過去の選手たちはみなそうでした。

 

 取材の場合は記者が相手になる

 つまり記者が記事を執筆し、ラジオやテレビに出演することで、初めて自分の肉声がファンや両親に伝わる

 当然そこには自分の意見とは程遠い、捏造に近いものもある

 従って「ブログ」「チャット」の時代から、選手はマスメディアを通じずに、自分で言葉を選ぶようになる

 

 という変化はあります。

 

 おそらくロドリに場合は

 

 自ら情報をファンに伝えることもない

 選手は歌手、俳優、政治家とは異なる

 僕個人はサッカーに集中し、ファンがサッカーという競技で身近に感じてくれたなら、問題はない

 

 と思っているのでしょうね。

 

 僕はロドリがどのブランドのスパイクを着用しているかわからないのですが、きっとブランドから提供された靴をそのまま受け取り、着用しているのではないでしょうか。

 

 契約内容と金銭面

 ほかのブランドからの移籍の打診

 

 にも注意を向けないきがします。

 

 ファンはそんなロドリを「地味」と思うのかもしれませんが、むしろこの姿のほうが真っ当なのかもしれませんよ。

 

 古風という言葉はどこか揶揄の意味がありますが、彼には誉め言葉に違いありません。

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スペイン代表ロドリの慎ましい立ち居振る舞い

2024-11-05 21:29:41 | 日記

 そのブラジル代表選手たちと、レアル・マドリード首脳陣が憤慨しています。

 

 それは2024年のバロンドール受賞選手が、ヴィニシウス・ジュニオールではなく、スペイン代表のロドリに決定したことです。

 

 ヴィニシウス・ジュニオールは

 

 既に受賞を確信し、レアル・マドリードの同僚に配布する贈り物となる腕時計を購入、準備していた

 自分がないがしろにされたと考え、レアル首脳陣とともに選考を非難

 

 していますよね。

 

 作家の山口瞳著作になかで頻繁に「目に見えないファイン・プレイ」という表記をします。

 

 ロドリの良さは、一見しただけではわからない、目に見えない気づかいにあるのでしょう。

 

 それは彼が半歩ポジションをずらすことかもしれませんし、素早いカバーリングかもしれません。

 

 逆にいいますと

 

 ヴィニシウス・ジュニオールのプレイは、ハイライトビデオに使えるような代物

 子供たちがこぞってマネしたくなる、素晴らしさがすぐに伝わるプレイ

 ロドリの場合は熟練した選手、指揮官がうなる、言い換えれば眼をこらしてはじめてわかる感覚

 

 という違いがあるのではないでしょうか。

 

 これはどちらの選手が優劣か、の問題ではなくサッカーの本質が今回はロドリが勝っていたという勝負と感じます。

 

 ロドリは謙虚に受賞しましたが、その点も好意的な感覚なのでしょうね。

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ワールドカップ94におけるブラジル代表の気持ち

2024-11-05 21:20:56 | 日記

 昨日、僕はアイルトン・セナの他界から30年の歳月が流れましたという題目でお話しさせていただきました。

 

 まずご意見ありがとうございます。

 

 この題目へのお返事を綴らせてください。

 

 彼が他界した際、理由がセナ自身のハンドリングミス、つまりレース中に何らかの理由で彼がハンドル操作を誤った、という報道を耳にした記憶が残っていたのです。

 

 ですから、この点を軸に内容を記入した形が昨日になります。

 

 アイルトン・セナの訃報は

 

 1・ブラジル国内で国葬となり、英雄の死を悼む

 2・ロマーリオ、ベベトに代表されるワールドカップ94に参戦する選手たちも奮起

 3・セナの死で暗く落ち込んでいるブラジル国民を励まし、セナを追悼するためにも優勝しよう

 

 と、団結心を固める結果になったとも言います。

 

 実際このブラジル代表は

 

 背番号10のライーが、指揮官カルロス・パレイラの信頼からほど遠い

 ブラジルらしい美しい展開とは程遠い

 

 と批判されましたが、1970年以来の優勝という結果をもたらすことはできたわけです。

 

 もしロベルト・バッジョとフランコ・バレージ、決勝で対戦したイタリア代表が

 

 1・PKを外さなければ

 2・彼らがブラジル代表のように、準決勝からの日にちが3日間隔ならば

 

 という見解もあるでしょう。

 

 ただ、この時のブラジル代表がセナに敬意を払い、国民を勇気づけた点に間違いはないと思うのです。

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