いつか風がみていた・・・(フレディ・Mの日記)

自転車とオートバイで遠くへ・・・。

秋の北陸小京都

2013年11月10日 06時00分00秒 | 旅行
11月9日(土曜日)










明日からは確実に天気が悪くなるであろうという週末の予報に、
嫁さんと久しぶりに休日の重なった土曜日、
自転車2台積み込んで朝の北陸自動車道を金沢へとクルマを走らせたワタクシでございます・・・





なかなか出無精な嫁さんを説得するのに苦労しましたが・・・












時速10km/h出るか出ないかの超スローペースに予約時間に間に合うかひやひやでしたが、
朝9時前、あらかじめ拝観予約を入れておいたこちらの寺院へと向かうべく、
ビアンキミニヴェロ号とブリジストン折りたたみチャリでのろのろと向かう




日蓮宗・正久山・妙立寺(みょうりゅうじ) 


別名:忍者寺とも呼ばれているこちらの御寺、中での撮影は禁止なので写真はありませんが、
外観二階建てなのに内部は四階建て七層・部屋数27、階段数29と非常に複雑怪奇な構造
拝観料800円で案内ガイドに連れられて約40分、説明を受けながら案内されるのだが、
おそらく間違いなくガイドさん無しで一旦入ったら二度と出ることが出来ないような複雑な構造で、
金沢市ナンバー2の人気観光スポットと呼ばれるだけある、
非常に興味深い面白い所でした






加賀藩3代藩主・前田利常が寛永20年(1643年)に金沢城近くにあったこの寺院を、
にし茶屋近くのこちら(犀川大橋近く・野町、寺町寺院群の西)に移築したのだが、
その背景として隣の福井藩・松平家の存在が大きいとされている。
当時、前田家は加賀藩の最たる敵として隣国福井藩を「加賀藩を攻め滅ぼすのは福井藩に違いない」と考えていたという。
以前に調べた事柄でも同じく福井藩も加賀藩を警戒し、
福井市北部に「加賀口御門」という大きな城壁にも似た門を構えていた事でも、その警戒度が伺える。



当時幕府は些細なことでも多くの諸大名を取り潰した時代、
金沢城意外に武家屋敷を配置し戦に備えているというのでは都合が悪いので、
寺院群を配しそこに武家を常駐させたという。
妙立寺はその寺院群の中核をなす司令塔であった。


外観からはわからないように内部構造で四階建てにし、
加賀平野まで見渡せる物見やぐらからは金沢城と光による交信もできたという








朝早くから起こされて慣れぬ自転車で連れまわされた感のあるいささか不機嫌な嫁さんも、
隠し扉や隠し階段や落とし穴など複雑な建物の造りに、わくわくと喜んでいたのでした・・・










にし茶屋街を通り抜け犀川を渡り、香林坊から裏道を通ってこちらへと



「尾山神社」
ちょうど七五三の稚児衣装を着た家族連れがたくさん参拝なさっていました














そこからもう少し北へと向かったのがココ

近江町市場
初めてここに来た嫁さんは、周りの賑わいに釣られてこちらで餅と能登カキを購入

ブリジストン折りたたみチャリに前かご付けてきて正解










・・・で、ココもまだ来たこと無いと言うので連れてきたのが定番観光スポットの

ひがし茶屋街

外国人観光客が多かったデス

静かな街並みを散策した後、
そろそろお昼時に近かったので向かった先がココ





レストラン「自由軒」


開店前のお店には少し列がありましたが、なんとか第一陣に紛れ込みカウンターに座って注文したのが・・・、










ビフテキ丼(嫁)とオムライス(私)~


これでもかというほどどっさりと乗った柔らかいビフテキがとても美味しかったのと、
珍しい醤油風味のオムライスは格別でした




食後にもう少しひがし茶屋街を散策し、
金箔のお店を見学






金沢らしいしっとりとした趣のお店にもこんなのも・・・







きんきらぁ~







浅野川大橋を渡り、通りすがりのお寿司屋さんのメニューを見て、
「こっちの海鮮丼は1,200円よ! 近江町市場では2,700円もしたのに
っとたわいもない事を言いながら、金沢駅方面へと





近代的で見事な駅に福井との格差を知り、
これしきの自転車移動で疲れたと近くのミスドで休憩した後、クルマまで戻り高速道路に乗る帰りがけに、
押野にあるこちらへと・・・










シエン・ブランで翌日朝用のパンお買い上げ~









帰宅後、近江町市場で買ってきた能登カキは、
晩御飯のカキフライになりましたとさ・・・


















本日の総走行距離:12.9km
アベレージスピード:???