コンビニがまだ身近になかった大学生の頃、お酒は酒屋で買うものだった。街の酒屋には、立ち飲みのスペースがあったが、一度も立ち寄って飲んだことはなかった。
下宿には冷蔵庫もなかった。酒屋で買うのはウィスキー。それも値段の安いもの。角は高級で、ジョニ黒などには手も出なかった。もっぱら、トリスを飲んでいた。「トリスを飲んで、ハワイに行こう」というCMで有名だったウィスキー(というのは、後になって知ったことで、当時、部屋にはテレビもなかった)。同じ下宿にいた下級生から、ポッカレモンを入れて飲むと美味しくなると聞いて、二人でそういう飲み方をしていたものだ。その彼は、鬼籍に入ってしまった。
金がないので、外で飲むということはほとんどなかった。覚えているのは、茗荷谷の駅裏の店のカウンターに友人と二人で座り、一杯のお酒をチビチビと飲みながら話したこと。その彼は、若くして亡くなってしまった。
若かったあの頃。家飲みを楽しんでいた頃。そして、今。外で飲むことがなくなり、再び家飲みの生活に。オイルショックのときの真っ暗になってしまった東京の光景が、ふと思い出される。明けない夜はない、と信じたい。
下宿には冷蔵庫もなかった。酒屋で買うのはウィスキー。それも値段の安いもの。角は高級で、ジョニ黒などには手も出なかった。もっぱら、トリスを飲んでいた。「トリスを飲んで、ハワイに行こう」というCMで有名だったウィスキー(というのは、後になって知ったことで、当時、部屋にはテレビもなかった)。同じ下宿にいた下級生から、ポッカレモンを入れて飲むと美味しくなると聞いて、二人でそういう飲み方をしていたものだ。その彼は、鬼籍に入ってしまった。
金がないので、外で飲むということはほとんどなかった。覚えているのは、茗荷谷の駅裏の店のカウンターに友人と二人で座り、一杯のお酒をチビチビと飲みながら話したこと。その彼は、若くして亡くなってしまった。
若かったあの頃。家飲みを楽しんでいた頃。そして、今。外で飲むことがなくなり、再び家飲みの生活に。オイルショックのときの真っ暗になってしまった東京の光景が、ふと思い出される。明けない夜はない、と信じたい。
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