こころ模様

人はなぜ生きるのでしょうか。希望、居場所、時間というキーワードから、人生とは何かについて考えていきます。

赤穂浪士討ち入りの日

2011-12-14 22:09:12 | 歴史
今日は赤穂浪士討ち入りの日。先ほどもテレビで関連する番組を放送していた。
四十七士の中で、ただ一人切腹を免れた寺坂吉右衛門の墓は麻布曹溪寺にある。
母方の祖父の墓もそこにあり、小さい頃から何度かお参りに行ったことがある。
曹溪寺には、赤穂藩主の奥方たちのお墓もあり、姫路との関係の深さを感じる。
祖父高浜二郎は、姫路の出身。明治の人として自分の生き方を貫いた人である。

最新の画像もっと見る

4 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
高浜二郎氏のこと (多田乙山(ハンドルネームです))
2013-08-16 23:01:30
郷土史家として、高浜氏の著作には多大の恩恵を蒙っています
長い間、高浜氏の略歴を知りたいと念願しておりましたが、調査が行き届きませんでした
(東京方面ばかりを調べていたためと思われます)
生没年・葬地等を御教示いただければ幸いです
何卒よろしくお願い致します
返信する
高浜二郎のこと (都筑)
2013-09-09 13:16:56
多田乙山さん、コメントありがとうございました。
私自身、家族から伝え聞いていたことを確認したくて、いろいろと調べていましので、お返事が遅くなりました。

1884年生まれ、1967年死去。お墓は東京麻布の曹溪寺にあります。

姫路では姫路新聞、鷺状新聞などで記者を務めていました。明治40年に上京。報知新聞(宇都宮支局)を経て、鍍金研究所に入所。

号の「高浜天我」でネット検索すると、「三木露風と内海信之」という論文が見つかります。そこにも、三木露風の友人として高浜二郎(天我)が登場します。
返信する
御礼 (多田乙山)
2013-09-10 08:02:06
高浜二郎氏の情報、わざわざ御確認までしていただき感謝に堪えません。厚く御礼申し上げます

杉田玄白や宇田川玄随らの研究ではたいへんな学恩を蒙っております。御経歴については断片的な情報しか得られず残念に思っておりました。高浜氏の活動があまりにも広範・多岐にわたっているため、同名異人が存在するのではないかと考えたりしていました

此度、御令孫により確報を得たことはこの上ない喜びです
返信する
訂正 (都筑)
2013-09-10 09:24:27
多田乙山さん、家に戻ってもう一度パソコンのファイルを確認してみたところ、以前、伯母より聞き書きしたメモを見つけました。それによると、亡くなったのは1966年12月10日でした。場所は姫路です。

http://c-faculty.tamacc.chuo-u.ac.jp/~manabu/
上記のホームページに、私のメールアドレスが書いてあります。直接の問い合わせの場合には、そちらまで。
返信する

コメントを投稿