イコンのもとに


在宅介護16年が終了後、やっと自分のために生きられる。イコンも描いてます。ブログは書いたり書かなかったり、気分で。

罵り

2013年07月30日 | イコン
画家夫妻が若い作家たちが作品を展示しているギャラリーに
ふたりでやってきて、
展示作品を「これはダメだ」と罵りだすのは有名でした。
何人もやられていて、
私もいつかはあるだろうと思っていました。

自分たちは東京で大きな仕事をしてきた、だから経験があるんだ、
岡山の作家連中は何もわからないバカだ、と言います。
画家の妻は「夫は大学教授にもなれる人なのに、岡山の人はそうしない。
全く見る目がないのね」と言います。

私は初めてこれを聞いたときに、
このふたり、頭おかしいのか?と思いましたが、
仕事の結果もあり、私よりひとまわり以上年上の人たちですから黙っていました。

岡山の悪口を言って、若い作家を罵って、岡山の大学教授にしなさいと妻が言うわけですから、
おかしいんじゃないの?とみんな言いました。
「あれだけの仕事を東京でしてきているのに、
なぜ岡山ではとりあげられないの?」と私に質問をしてきた人がいました。
その人は、いろいろと聞くうちに、
その理由がわかったみたいでした。

この夫唱婦随の罵りスタイルが、
この芸術家夫婦の表現方法なので
それでいいのだと思います。
私たち低脳でバカな岡山の人間が、
とても口出しできるものではありません。

私はこの夫婦とのおつきあいの上で、
岡山への罵りはある程度放っておきました。
もちろん、岡山も悪いところもあり、直さなければならないこともあるからです。

ギャラリーへ夫婦でドカドカやってきて、
罵りこきおろすのはどんどん有名になりました。
ギャラリーオーナーからも
岡山に住んでいるくせに、なぜ悪口ばかり言うのか?と聞きました。
悪口言われて、作品を買うわけないじゃないか、と言います。

私の母は東京生まれの東京育ちで、結婚して岡山にきましたが、
母から岡山の悪口は一度も聞いたことがないので、
母にこの質問をしますと
「悪口なんか言うはずないでしょ、岡山という土地で生活させてもらってるのよ」と言いました。
両親も芸術家夫婦の言動をまわりの友人たちからずっと聞いており、
母は「私がいつか会って、どういう人間たちなのか、
いつまで岡山を罵るのか確かめる」と父と話していました。
後に、画家は母のイコンを違う聖人で描いてきました。
その聖人は違うと何度言っても聞きませんでした。
自分が正しくて、人の言うことを素直に聞きません。
そういうやり方なのだと思います。
そのイコンは昨年末、母から画家にお返ししました。

「私たちは東京ですばらしい仕事をしてきた夫婦で
岡山の人たちは私たちの美術館を作ってもいいくらいだ」と言うのですから、
どういう芸術家夫婦なのか?
私の両親や高齢の方々も知りたいわけでした。

私は夫婦の罵りスタイルを黙ってずっと聞いてきましたが、
嫌になった人はどんどん離れていきました。

私の作品を展示したギャラリーにやってきて、
お定りの口癖の「これじゃ、ダメだ。こんな絵じゃダメ。なっていない。
日本画の癖が抜けていないのね。
たいした絵じゃないわね」と言うのを聞いたときには
すごく悲しい気分になりました。
私はたくさんの日本画家の先輩たちに指導も受けたり、
人生経験を聞いてきましたが、
それらを全て否定された気分になりました。
まだ、妻の方だから罵りも生ぬるく、
夫だと凄まじい罵りでした。

あれらは、作品へのアドバイスではなくて、言葉の暴力に近いのではないかと思います。
今なら、パワハラでしょう。

私は、この夫婦はこのスタイルで岡山で暮らしていくんだなと思いました。
それでいいのだと思います。

人間、40にして惑わず、という言葉がありますが、
40過ぎれば、その人の生き方も決まります。
60や70にもなって、まだ罵りを辞めないのであれば
そういう生き方なのです。
岡山や岡山の人々を罵って生きて死ぬ一生です。
あの夫婦を私はそう解釈しました。
ですので、私はもう近寄りません。
おつきあいなさる方は、
そういう生き方の夫婦だと思って、
おつきあいなさればいいのです。

お茶の水と柳井原の教会にも事実をお伝えしました。
夫婦の娘さんにも知らせました。
オリエント美術館のイコン教室へ紹介したのも私ですから、
学芸員に知らせました。

私は岡山は好きだし、
住んでいる土地や人々を罵るなんて
とても恐ろしくてできません。
そんな傲慢なことは、神様に叱られます。
自然や先人が築いてきた昔から在るものを、
最近生まれた人間が罵るなんて
怖くて、恐ろしいです。












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