昨日、NHKで中尊寺金色堂の特集を見ました。
デジタル金色堂はワクワクして、とっても楽しいです。
ただ、ちょっと不思議なのは、
当時、奥州は日本海を使って
都を介さずに宋と取り引きをしていた国際都市であったと。
内陣や柱の螺鈿細工の夜光貝は南洋からシルクロードを渡ってきたと。
ならば当然、キリスト教を知っている外国人も入ってきているはず。
金色堂中央壇下の格狭間(ごうざま)の凹んだ部分は窓のようで、
現世と阿弥陀世界を繋いでいるようだと、研究者が話していました。
凹んだ窓は、イコンの考えそのもので、
金色堂はそのまま黄金背景であるのに、
一切、キリスト教との関わりの話が出ないんです。
中央壇の下には藤原清衡三代のミイラまであるとか。
黄金背景の下にミイラの遺体なんて、まるで聖人の遺体が地下にある教会様式じゃないですか⁈
私は不思議でならないんだけど、
おそらく、キリスト教と関わりがあったという確証がないことには
研究者たちは口に出せないんだろうし、
確証があったとしても中尊寺は一切、公表しないと思います。
仏教界としても
異教との関わりは言いたくはないんだろうと思います。
青森県などは、アイヌ文化も入っていたのに、
アイヌは北海道の一部だけだという考えの人が多いし、
大和とは違う文化や人たちを歴史に入れないのは
当時では、仕方ないのかな?と思いました。
石見銀山では千年前からペルシャ人が入ってますから、
当然、中尊寺あたりにも外国人がいたはずで、キリスト教がもたらされていたはずです。
石見銀山には十字架の古い墓がありました。
日本の歴史も国家や政治の都合のいいように作られている部分もあるので、
疑問を持つことから、
また新たな研究、研究者が出てくると思いますね。