過ぎたるを 過ぎて久しく なりぬれば 過ぎて及ばぬ ためしなるかな
*これはツイッターで発表した、獅子の作品です。気づいているでしょうが、ツイッターで獅子と名乗っているのは、瑠璃の籠の名ではゾスマにあたります。
彼は今も、この存在の活動においては、重き存在感を示してくれるのです。霧の風景はおもしろかったでしょう。実に彼らしい表現です。
わたしたちがこの多重人格活動を始めてから、しばらく経ちますが、慣れてきたとはいえ、やはりどこか常に、自分に無理をさせているという実感はつきまといますね。こんなことは、本当は絶対にしてはいけないからです。わたしも主体をやっていた時、最初は失った自分の肉体を取り戻せた気がして、うれしいと思わないでもなかったが、いろいろと、かのじょと自分の違いを感じているうちに、つらくなってきました。
短期のうちに主体を変わってもらったのはそのせいです。主体をやれるのは、よほど強い天使でなければできません。それはやってみてわかりました。
今のわたしは、主体でもサブでもなく、守護霊の位置からこの存在に影響して表現しています。一時期のわたしの文章と雰囲気が違うことを感じる人もいるでしょう。今の主体がわたしに大きく影響しているからです。
この活動が終わったら、どんな結果が待っているかなど、考えている暇はない。とにかく今は、やれることは何でもやって乗り越えねばならない。
助け合わねばできることではありません。かのじょもそうだったが、わたしたちも無理をしすぎている。だが、それでも、収穫となるものは実に少ない。自分の血を総身に浴びるほど努力しているというのに、変化と言えばごくわずかだ。
そういう実感を歌ってくれたものが、表題の歌でしょう。
笑うしかない。
まあ、深く考えていては何をすることもできません。
つらいのは、なんでもやっているわたしたちではなく、何もやらないあなたがたの方なのですから。