あまたよの 夢の柱を めぐりきて けふおとなひし 白樺の門
*たまにはかのじょの作品をとりあげましょう。これは「恋のゆくへ」に発表されたものですね。2008年の作です。
いくつもの時代をめぐりきて、今日あなたはやっとたどりついたのだ。白樺の門に。
「門」は「かど」と読んでください。「もん」より涼やかでいいでしょう。「かど」というと、曲がることをなんとなくにおわせる。そう言うとわかりますね。迷いの道を巡り巡ってきた人間が、ようやくそれを改めることのできる門にたどりついたのだと、そういう意味が生じる。
白樺というのは、幹が白いとても美しい木です。ここらへんには生えていないので見ることはできないのだが、写真や絵の中で見る白樺はいかにも清らかでまっすぐに立っている。馬鹿が見ればいやらしいと思うほど、美しい。
そういうものの、真実を見てしまえば、人間は変わらざるを得ないということなのです。
しかし馬鹿なことを何千年と続けてきた人は、急には変われないものだ。白樺のように美しい真実を見ても、最初はこれをまるっきり嘘だと思い込む。それでその嘘を暴こうと、あらゆる愚かな知恵をまわし、あらゆる愚かなことをする。ひっくり返してもひっくり返しても、同じ顔ばかりが見えるカードを見て、自分の信じていることが間違いだとは思いもしない馬鹿は、焦りに焦って、狂ったように嫌なことをし続けるのです。
すべてが崩壊しきってしまうまで、それをやめられない。
真実というものに、裏も表もないものだということが、勉強してわかっていなければ、人間はこういう深い誤謬に陥り、迷いの闇に取りつかれたまま際限なく落ちてゆかざるを得ないのです。
わかりますね。白樺の門というのは、まさに、真実の門の隠喩です。
あなたがたはかのじょという人に出会うことによって、長い過ちの日々から真の世界に出られる門にたどりついたのです。しかしあなたがたは、真実というものの、真実をまるで知らなかった。だから、こんなものは嘘だと頭から信じ込んで、徹底的に壊してしまったのです。
無知ほど怖いものはない。何も知らないから、それが自分の破滅をおびき寄せることだとは気づかずに、徹底的にやってしまったのです。気づいた時には何もかもが遅い。
もう何度でも言ってきたことですから、今回はこの辺で留めておきますが、もうこの原稿が発表される頃には、自分のやったことの結果を十分に味わっていることでしょう。
白樺の門は壊れてしまった。だからあなたがたはそこから出てゆくことはできない。ではどこにいけばいいのか。
それを知りたいのなら、もう二度と同じ真似をしてはいけません。どうすればいいのかは、自分で考えなさい。