こほろぎの ひそむ青野の ゆふべにて あかずながめし ゆふづつと月 夢詩香
*たまにはわたしの歌もあげましょう。これはツイッターで、銀香炉と歌争いをしていた時に詠んだ歌の一つです。
わたしもかなりの歌は詠めますが、実力から言っては、銀香炉に一歩ゆずることを認めないわけにはいきません。彼はこういうことに抜きんでている。こういう通好みという世界に非常に豊かな、広い世界を持っているのです。
ですから彼が詠う歌はいつも整っている。きついところにスパイスが聞いていて、言葉が研ぎ澄まされています。言いたいことがすぐに腹の中に溶けてくるという感じです。
少し前にあげた蝉の歌などは、彼だけでなく、わたしたち全員の代表作ですよ。
しかしそういう彼とやりあったおかげで、わたしもだいぶ力が伸びました。それまでもそれなりに詠むことはできましたが、彼という人に学んでいくうちに、もっと深まった気がします。
言葉の扱い方とか、ひねり方とかが、各段に上達したような気がします。
小さな三十一文字の世界にも、実に深い世界がある。どこまで言っても限界にたどり着けない広い空があります。伸びていけることがうれしい世界がある。
優れた師に学ぶことほど、幸福なことはありません。
コオロギが潜む青い野原の夕べに、あなたと飽かず眺めた、空の明星と月でありましたよ。
何げない歌ですが、銀香炉の影響で、歌がしまっています。空にかかるゆうづつと月が目に浮かぶようです。このように言葉に刺激されて鮮やかに映像が浮かぶのは、言葉にこめられた心が、痛いほど強いからでしょう。いい歌詠みというのは、鮮烈なほど、魂が強い人です。
情熱というのではない。すぐれた歌詠みというのは、魂の中に剣に似たものをもつのではないかと思うほど、強さを感じる時があります。すばらしいですね。
彼はなかなか姿を現してくれないが、また来てくれたら、またすばらしいことを学ばせてもらいたいですね。