白飴の 甘き香りの 夢に満ち すくひをねがふ 月ぞこひしき
*ツイッターでは、「白飴」を詠った歌も多いですね。かのじょが瑠璃の籠で、人々のために飴を作ってやりたかったのにと書いた詩に元を発しているのですが。
甘い愛の心で、人間を助けてやりたかったのに、できなかったという詩でした。
あなたがたは時に、世知辛い世の中を生きていくには、甘いやさしさなど愚かなものだと言いたがりますが、それは間違いですよ。甘いやさしさを持つ人も、天使のように進化していけば、すばらしいことができるようになるのです。
本当に、甘い心で人を救うことができるようになる。実際、かのじょが無事に天命を全うしていれば、その心と力で、救えた人間の数は一段と増えたはずなのです。
それを馬鹿にして駄目にしてしまったのは、愚かなどというものではありません。
美女の形をしていたというだけで、頭から何も信じようとせず、でたらめばかりをやって、大勢で総攻撃をしかけた。ねたましかったのです。美しいのに、不幸にならないことが。
甘いことをいう女など馬鹿なのだということにして、嫌なことばかりして、嫌な奴にして、みんなであざ笑おうとした。それがなかなか思い通りにならないので、みんなで狂ったのです。人一人を不幸にするためだけのために、大勢の人間が、自分の人生を使ってしまった。他には何もしなかった。甘いのは、そういう馬鹿の方ですよ。
嫌なことをすれば人間を嫌な奴にすることができると思っていた。苦い自分の人生を誰かのせいにして、そいつを最も嫌な地獄に落として、楽しもうとしたのです。醜いですね。だれも、こんな結果が来るとは思っていなかった。まさか、自分のほうが負けるとは。
かのじょだけが助かって、みんなが沈んでしまうとは。
平気でやったことが自分に返ってくる時になって、馬鹿はようやく気付くのです。その時には何もかもが遅い。
白飴のような甘い香りが夢に満ちてくる。そのように甘いやさしさで人を救おうとしていたあの月が恋しい。あの人がいれば、たすかったろうに。
だが気付いてももう遅い。馬鹿はいつもそれだ。苦いことをするほうが勝つのだと言って、苦いことばかりするのだが、結局はいつも、甘いやさしさに頼っていく。自分がした苦いことが自分に返ってきたら、助けてくれと言って、人に甘いやさしさを請うのです。
昔は、そういう馬鹿な者にも、苦い顔をしつつ助けてくれたものもいたのだが。
そろそろその愛想もつきたようだ。