信州の谷間の街道を散策しています。
国道152号線、中央構造線に沿った秋葉街道といわれる谷間の道です。
高遠の街から分杭峠を越えて大鹿村に入りました。鹿塩川沿いに下ってくると塩川の分岐に出ます。塩川に入りますと、鹿塩温泉、南アルプス三伏峠への道があります。さらに下ると小渋川との合流点、落合という集落に、小渋川を上流に向かいますと大河原という地籍に出ます。名前の通りやや広い沖積地があります。V字谷の村の唯一の平地です。
大西公園。というより自然の猛威の爪あとです。
昭和36年(1961年)6月・・36災害といわれる暴風雨が長野県を襲います。伊勢湾台風(1959年)の2年後です。大西山(1741m)の山腹が大崩壊、文満集落39戸、42人が犠牲になりました。高さ450m、巾280mといわれます。50年後の今は小渋川を見下ろす桜の植わった高台の公園となり、観音像が建ってます。
まさに中央構造線の標本です。152号線を南下して静岡県との県境に行くと青崩峠というそのものズバリの峠があります。
この写真は3枚の写真の合成です。
大鹿村の豪農の松下家に行きます。
国道152号線、中央構造線に沿った秋葉街道といわれる谷間の道です。
高遠の街から分杭峠を越えて大鹿村に入りました。鹿塩川沿いに下ってくると塩川の分岐に出ます。塩川に入りますと、鹿塩温泉、南アルプス三伏峠への道があります。さらに下ると小渋川との合流点、落合という集落に、小渋川を上流に向かいますと大河原という地籍に出ます。名前の通りやや広い沖積地があります。V字谷の村の唯一の平地です。
大西公園。というより自然の猛威の爪あとです。
昭和36年(1961年)6月・・36災害といわれる暴風雨が長野県を襲います。伊勢湾台風(1959年)の2年後です。大西山(1741m)の山腹が大崩壊、文満集落39戸、42人が犠牲になりました。高さ450m、巾280mといわれます。50年後の今は小渋川を見下ろす桜の植わった高台の公園となり、観音像が建ってます。
まさに中央構造線の標本です。152号線を南下して静岡県との県境に行くと青崩峠というそのものズバリの峠があります。
この写真は3枚の写真の合成です。
大鹿村の豪農の松下家に行きます。
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