信州上田の・・・六文銭の写真帳
初冬の中山道・・・「是より南 木曽路」の碑から贄川宿・・・平沢間の宿・・・奈良井宿・・・鳥居峠、藪原宿、宮ノ越宿、と進んできました。
中山道37番「福島宿」です。昭和初期1927年の大火により宿場通りはほとんど面影を残していません。本陣跡地は現在役場庁舎に。
宿の時代、家数158軒、人口972人、本陣1、脇本陣1.旅籠14、宿内人口972。
1979年古図面を基に復元した関所跡です。北側から坂を登って東門、南から坂を登って西門。

江戸時代の四大関所(箱根、新居、碓氷、福島)の一つ・・・入鉄砲に出女の取り締まりが厳しかったそうです。

敷地内に関所資料館。

福島関関所守、尾張藩木曽代官の山村家下屋敷。
山村家は中世の木曽の豪族木曽家の旧家臣、関ヶ原の戦いで功あって旧家の地の関守を命じられ明治まで。


江戸時代の四大関所(箱根、新居、碓氷、福島)の一つ・・・入鉄砲に出女の取り締まりが厳しかったそうです。

敷地内に関所資料館。

福島関関所守、尾張藩木曽代官の山村家下屋敷。
山村家は中世の木曽の豪族木曽家の旧家臣、関ヶ原の戦いで功あって旧家の地の関守を命じられ明治まで。

※撮影日は11月26日、
★写真には残せませんでしたが高瀬家資料館があります。高瀬家は藤原氏の血を引くといわれ、山村代官の側用人、勘定役、鉄砲術指南役などを勤め、薬種問屋、漢方「奇應丸]発売元、島崎藤村「夜明け前」でお粂という名前で出てくる藤村の姉お園の嫁ぎ先。藤村が幼くして上京の際は物心ともに援助しています。藤村の三男蓊助(洋画家)は母が亡くなったため2歳のときからこの家で育てられました。藤村の書簡などの資料、関所関係の資料などが展示されています。※コメント欄オープン。
門の階段を脇差したお侍さんが、トントントンと慌てて出て来そうな、
そして階段で上下に分かれて戦い、
そんな場面を彷彿させるピッタリな場所。
尾張藩木曽代官の山村家下屋敷。
なかなかの見映えがします。カメラワークもgood,比企野さんがグイグイと引き立てて。
・ 時代劇ちょんまげ小父さん刀差し (縄)
、
・これお女中 女改め 裾まくり