2015年8月13日、迎え盆の夕、久しぶりの「無言館」へのお詣りです。
信州上田の塩田平の前山寺の傍らに1979年「信濃デッサン館」という美術館を1997年開館させた窪島誠一郎さんが、フトしたことから戦争中の上野美術学校に在籍した野見山暁冶さんとの出会いがあり「無言館」という美術館をを開館します。野見山さんは美術学校を卒業の後、満州に出征、病を得て送還されます。一緒にいた兵士はどうなったでしょうか。野見山さんは戦後、絵描きになった後にもそのことが負の遺産として残ります。仲間を見殺しにして敵前逃亡したのではないかと。そしてその思いがきっかけとなり当時の絵を志した画友たちの遺した絵を捜し歩きます・・・「遺された画集戦没画学生を訪ねる旅」(平凡社 2004年刊)にその事情が記されています。窪島さんと野見山さんの二人三脚の旅がはじまります。そうして集められた遺作の絵を展示するために作られたのが「無言館」です。
1997年開館した信州の鎌倉・塩田平を見下ろす小高い丘の上に建つ「戦没画学生慰霊美術館 無言館」です。
信州上田の塩田平の前山寺の傍らに1979年「信濃デッサン館」という美術館を1997年開館させた窪島誠一郎さんが、フトしたことから戦争中の上野美術学校に在籍した野見山暁冶さんとの出会いがあり「無言館」という美術館をを開館します。野見山さんは美術学校を卒業の後、満州に出征、病を得て送還されます。一緒にいた兵士はどうなったでしょうか。野見山さんは戦後、絵描きになった後にもそのことが負の遺産として残ります。仲間を見殺しにして敵前逃亡したのではないかと。そしてその思いがきっかけとなり当時の絵を志した画友たちの遺した絵を捜し歩きます・・・「遺された画集戦没画学生を訪ねる旅」(平凡社 2004年刊)にその事情が記されています。窪島さんと野見山さんの二人三脚の旅がはじまります。そうして集められた遺作の絵を展示するために作られたのが「無言館」です。
中庭にある「記憶のパレット」。
このモニュメントはここに収蔵された画学生の名前を刻んだものです。
2008年開館した無言館第二展示館「傷ついた画布のドーム」。
このモニュメントはここに収蔵された画学生の名前を刻んだものです。
2008年開館した無言館第二展示館「傷ついた画布のドーム」。
無言にて 「帰国」の画家の 筆供養
妻の裸身 描きし画家の 魂・・・炎
妻の裸身 描きし画家の 魂・・・炎
一度、無言館を訪れたいと思いながら、まだ行けずにおります。生きている間に伺わなければ申し訳ない気持ちでいます。