☆「無言館」だけ見たいかたは・・・クリック
2016年8月14日夕刻、信州塩田平の独鈷山の麓、無言館の丘に立ちました。
無言館・・・戦没画学生慰霊美術館・・・先の大戦で亡くなられた画学生たちの遺作・・・絵描きのもう一つの命がここにあります。
いまは「お盆」・・・彼らの霊はもう一つの自分(絵)と向き合ってるのでしょうか。
無言にて 「帰国」の画家の 筆供養
「生きたくても生きられなかった」彼らのために、「ふたたび犠牲者を出さないように」・・・それが私たちのつとめです。
・・・8月14・15・16日の夕暮れ・・・おとずれた人の手でロウソクに明りが灯されます。
無言館・・・戦没画学生慰霊美術館・・・先の大戦で亡くなられた画学生たちの遺作・・・絵描きのもう一つの命がここにあります。
いまは「お盆」・・・彼らの霊はもう一つの自分(絵)と向き合ってるのでしょうか。
無言にて 「帰国」の画家の 筆供養
「生きたくても生きられなかった」彼らのために、「ふたたび犠牲者を出さないように」・・・それが私たちのつとめです。
・・・8月14・15・16日の夕暮れ・・・おとずれた人の手でロウソクに明りが灯されます。
※↑4枚の写真の撮影日は2016年8月14日。
「祈り」※↑1枚の写真の撮影日は2010年8月15日。
この時間、地元のローカルTV、SBC(信越放送)の夕方のニュースを観ていましたら、
偶然か、この「無言館」の話題をオンエアしていました。
無言館館長の窪島誠一郎さんがインタビューを受け、
色んなコメントを残していました。
また、位牌と絵筆のアップの画も、ニュースにも出て来て、
ヒキノさんのタイムリーなblog記事に
驚きました。
この無言館には、一度行きたい行きたいと心がけていますが、
その機会に恵まれません。
田舎の親の墓参りにも今年は失礼したような状況です。
≫、無言館はできたころからから、お盆の墓参りの時、同じ気持ちでお詣りしています。
比企野さんの、8月15日頃になりますと、
数多くの終戦にまつわる記事が掲載されて、興味深く読まさせてもらいました。
とにかく比企野さんのブログは、
中味が濃く興味津々です。
見たかったであろう富士山を、今年も見られてさぞご位牌も富士山も満足だったことだと思います。
あの場所は、絶好の富士山スポット、外国人の姿が多く見られました。
その方たちも手を合わせてくださっていました。
平和なればこそです。
熊谷ナンバーの車を見て「遠くからありがとうございます」と声をかけてくださいました。
無言館はできたころからから、お盆の墓参りの時、同じ気持ちでお詣りしています。
今回は墓参り、送り盆をすませて16日に帰宅。
遠出はしませんでしたが、JA長野川中島共撰場までハブキ桃の買い出しに。
コメントありがとうございます。
8月、あの戦争のことをブログにするのはそんな時代に生きたものの・・・メッセージ。
窪島館長・・・父母に捨てられ明大前の靴屋夫妻に育てられバーのマスターなどして、やがて今の仕事に。
信州の塩田平から平和へのメッセージを送り続けています。
英霊塔は戦後に建てられたものですね。
全国各地にある忠魂碑は戦後GHQの示唆により取り壊したのが多いようです。特に公立学校内にあるものはほとんど壊されました。
忠霊塔が軍国主義のシンボルにならないように祈るばかりですが・・・こきおばさんのようなお気持ちでお祈りすれば、良いのではないでしょうか。
あの世から故郷の山河に逢いに来る無言の彼らにふたたび戦争をしないことを誓いたいです。