比企の丘

彩の国・・・比企丘陵・・・鳩山の里びと。
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彩の国・・・行田市・・・巨大円墳が剥きだされた・・・八幡山古墳・・・石舞台の風景

2016-10-27 | 古墳・遺跡・石塔婆
信州上田・・・稲倉の棚田の古墳に関連して・・・
彩の国行田市藤原町にある八幡山古墳の石舞台です。
稲荷山古墳出土金錯銘鉄剣(国宝)で有名なさきたま古墳群から北東に2㎞、工場群に囲まれた小さな公園の中に関東の石舞台といわれる八幡山古墳があります。

円墳の墳丘が剥がされ岩室が露頭した古墳です。
石室の全長16.7m、玄室の長さ5.2m、幅4.7m、高さ3.15m(参考・奈良県明日香村の石舞台の石室の長さ19.10m、玄室の長さ7.5m)。

天井や壁のところどころに平らな青い一枚岩が使われています。緑泥片岩というこの地方ではよく見かける石です。



石室の中は土曜日・日曜日・祝日のみ解放されて見学ができます。


※撮影日は10月24日、LUMIX DMC-G7。

※元は大きな円墳(推定約80m)でした。1934年この付近の小針沼埋め立て工事でこの円墳の土を使用するため削平され石室が露頭、1935年発掘調査、1944年県指定史跡に、1977年復元工事と本格的な調査、漆塗木棺片、銅椀、棺飾金具などが出土。円墳が築かれたのは7世紀の中ごろ(622年乙巳の変で蘇我一族を暗殺し646年大化の改新で豪族中心の政治から天皇中心の中央集権国家が確立していく時代)と推定。被葬者は出土品から地方の首長級のものと推定。伝承では物部系といわれるが証明するものがない。文字による記録がない時代ですからすべて推定の世界です。
石舞台・・・明治時代に考古学者が明日香の露頭石室を呼んだ俗称です。観光商品名のようですね。ちなみに地元の明日香村では石蓋と呼んでいたそうです。八幡山古墳の石室を石舞台と呼ぶのは、モドキ呼称です。
※この付近に地蔵塚古墳があります。1962年の発掘調査により石壁に人物、馬、家、鳥、舟などの絵が見つかりました、いまは密閉されて見ることができませんがレプリカが埼玉県立博物館で展示されているそうです。
若小玉古墳群・・・かつてこのあたり昭和の初めまで前方後円墳、円墳、方墳あわせて11基の古墳があったそうです。総称して若小玉古墳群、いまは八幡山古墳、地蔵塚古墳を残すのみ、残りは削平され工場団地となっています。


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2 コメント

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古墳 (こきおばさん)
2016-10-28 06:51:37
古墳があるということはこの辺りに住んでいた人たちがいたということになりますね。
記録のない場所から、あれこれ想像を膨らませることは、感性を磨くことにもなるのでしょう。
そんな時間を持つことが出来る場所。良いですねぇ。
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遺跡や古墳は (こきおばさんへ・・・ヒキノ)
2016-10-28 18:59:18
先人の生きた証。
富士見から小淵沢あたりは遺跡が多いところですが、古墳はないようですね。

長野では古墳は上田から松代あたりに古墳が集中しています。人が大勢いて、それを管理する人がいて、そのお偉いさんの墓が古墳といわれています。
古代国家の繁栄のしるしです。
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