Toshiが行く

日記や趣味、エッセイなどで描く日々

檸 檬

2021年07月22日 06時00分00秒 | エッセイ


ベランダの鉢植えのレモンの木が、今年も実をつけた。
アゲハ蝶が卵を産みつけ、
その幼虫から葉を食いちぎられながらも、
何とか生き長らえ、楕円形のかわいい緑の実を見せてくれたのだ。
まだ、四つほどしか見当たらないが、枝葉には数日もすれば、
他にも小さな濃い緑色の実が見られそうな気配がある。

鮮やかなレモンイエローになるには、
もうしばらく待たなければならないが、
そのレモンイエローは明るい喜びを感じさせ、
口の中の酸っぱさが爽やかさを呼び覚ます。



なのに、小説や詩、あるいは歌の中のレモンは、
なぜこうも悲しみをたたえているのか。

鬱屈した気分で街を歩く青年は、
果物屋で買った一個のレモンを持って書店に入り、
積み上げられた美術画集の上に爆弾に見立てたレモンを置いて、
愉快に立ち去っていった
——梶井基次郎『檸檬』
 
死の床にいた智恵子は、そのきれいな歯でレモンをがりりと噛んだ。
トパアズいろの香気が立つ。
その数滴の天のものなるレモンの汁は、
ぱつと智恵子の意識を正常にした
 ——高村光太郎『智恵子抄』中の『レモン哀歌』                   

                            

あの日の悲しみさえ あの日の苦しみさえ 
そのすべてを愛してた あなたとともに 
胸に残り離れない 苦いレモンの匂い 
雨が降り止むまで帰れない 今でもあなたはわたしの光             
——米津玄師作詞・作曲『Lemon』

喰べかけの檸檬 聖橋から放る 
快速電車の赤い色がそれとすれ違う 
川面に波紋の拡がり数えたあと 小さな溜息混じりに振り返り 
捨て去る時には こうして出来るだけ 遠くへ投げ上げるものよ              
——さだまさし作詞・作曲『檸檬』

梶井はレモンを「爆弾」に見立て、
高村は愛妻・智恵子の死にレモンを登場させる。
そして米津やさだが奏でるメロディーは
「悲しみ、苦しみすべてを愛した人の記憶」や「恋人との別れ」と
いった感傷的な音符を書き込んでいる。

テーブルを見れば、冷えたレモンサワーの泡。
ふつふつと何を語るのか。