Toshiが行く

日記や趣味、エッセイなどで描く日々

争い

2020年11月15日 06時00分00秒 | エッセイ
堂場瞬一の警察小説に、原理原則を貫くばかりに必ずひと騒動引き起こし、
周囲と軋轢を生み出す「刑事・鳴沢了シリーズ」がある。
もともと2004年から2008年にかけ、全10話が発刊されていたものだが、
今年1月から新装版が、毎月1話ずつ文庫本として出版されたので、
改めてこれを全話一気読みしてしまった。
          
    このシリーズの中に、「十日会」という警視庁内の派閥が絡む事件がある。
    失踪した刑事を探すよう命じられた鳴沢が、
    自分の派閥から警視庁総監、さらには警察庁長官を……と
    目論んでいた「十日会」を最後には壊滅させるというものだった。
    それでも、この「十日会」の残党がしぶとく生き残り、
    最終話にも登場するのだが、この「十日会」の対抗派閥として
    「紫旗会」というものもあり、これまた虎視眈々とその座を狙っている。
           
派閥と聞けば即座に自民党へ思いが行く。
我が国の総理大臣は自民党の各派閥の思惑によって決まる。これが現状だ。
いささか怖くはある。
派閥というのは、突き詰めると自らの保身のための盾、
立身出世するための矛と言ってよく、
総理を出した派閥に属していれば、大臣のイスが巡ってくることもあろうし、
うまくすれば自らが総理への道を見出す可能性さえある。
そして、このような派閥というのは、架空の話ながら鳴沢了の警察組織、
あるいは現実の政界に限らず、官民どのような集団にも存在する。

    40年ほど前、ある国立大学の学長選を巡る派閥抗争を取材したことがある。
    それは驚くほどすさまじいものだった。
    相手陣営を引きずり降ろそうと、互いにあらゆる策略を用い、
    ついには相手方の情報を得るため記者の抱き込みさえ画策した。
    〝夜討ち朝駆け〟というのは、記者の世界での話だとばかり思っていたら、
    記者に対する先生たちのやりようも違わなかった。
    最有力とされた医学部長が辞職に追い込まれ、ケリがついたのだが、
    まだ若かった僕にとって、それは十分に〝汚い世界〟だった。
    山崎豊子の「白い巨塔」は、そんな〝学問の府〟の
    現実の一端を描いたものだろう。

「大学の先生が名を成すには、ノーベル賞級の学術上の業績を挙げるか、
あるいは派閥を利用しながら学部長だ、学長だと地位を築き上げていく。
この2つしかないのです。前者は並大抵の話ではないでしょうからね」
──大学の事務官が苦々しく語ったことを覚えている。
           
   「日本学術会議の任命拒否問題」に対する
    野党の追及はどうやら不発に終わりそうだ。
    学術会議の内情は知る由もないが、なにがしかの確執が
    あるだろうことは容易に察せられる。


打球が外野まで飛ばない

2020年11月13日 06時00分00秒 | エッセイ
    長い人生には、人それぞれに進むべき道が変わる、
    何度かの転機があるものだ。
    それを幸いだったとすることもあろうし、
    逆に「あんなことさえなかったら……」などと悔やむこともあるだろう。
    それでも人は、七転八倒しながらも生きていくのである。
            
「そがん こまか体じゃ野球は無理ばい。そいよか、オイと一緒に体操ばせんか」
中学1年生の夏、同じ中学校で器械体操部の主将を
していた2つ違いの兄がそう言った。
振り返れば、僕にとりそれが最初の転機だったのかもしれない。

    野球少年だった。小学3年生の頃から、グローブと軟球がいつも側にあり、
    放課後は毎日のように同じ野球好きの同級生とボールを追っていた。
    大して娯楽のない時代。僕にとり野球が唯一の楽しみだった。
    もちろん中学生になると、ためらわず野球部に入った。
    だが、打球は悲しくなるほど弱々しく、
    外野まで飛ぶことはほとんどなかったのである。
                        
野球をあきらめた。そして、勧められるままに器械体操を始めたのである。
すると、小さな体に向いたスポーツなのだろう、
上達するほどにどんどんのめり込み、高校、大学と続けた。
大学は教育学部を選択したが、立派な教師になろうとの志あってのことではない。
単に器械体操を続けるにはこの学部が都合がよかったからだ。
一方で、その選択は本人の思いとは関係なく、
「将来は教職に就く」ことを半ば定めたに等しかった。
           
    だが、定められたかのように見える道が絶対不変というわけではない。
    その道を真っすぐに進まず、左へ、あるいは右へと進路を変える、
    そんな転機が図らずもやってくることがままある。
    実は、教育学部に学んだものの、学年を重ねるごとに
    教職というものが適職だとは思えなくなった。
    「他に進むべき道を」そんな迷いの中にいた卒業の年の1月、
    さる知人が「新聞社が求人広告を出している。受けてみたらどうか」
    と知らせてくれたのである。
    これが教師から記者へと進路を大きく変える、
    もう一度の転機をもたらしたのだ。
 
78年間を振り返り、そして今を思い、
「教師への道を捨て、記者の道を選んだのは正しかったのか」
自問してみれば——満点とは言えないまでも、間違えたとは思えない。
幸いなことである。これも兄と知人のお陰であろう。素直に感謝する。

親子滝

2020年11月12日 06時00分00秒 | エッセイ
    小さな、小さな虫が目の前を飛び回っている。手で払う。
    だが、陽に透かして見ると、違った。
    38㍍の高さから滝壺目がけ勢いよく落下する複数の瀑布が、
    細かい、細かい飛沫となって、
    あたり一面を霧のように柔らかく包んでいたのだった。

大分県竹田市にある「白水(しらみず)の滝」。
岩肌から湧き出した水が幾筋もの糸のような滝となって流れ落ち、
その滝水が白く見えることから、そう名付けられたという。
周辺には「白水(はくすい)ダム」「竹田湧水群」などが点在する水の豊かな地域であり、
この「白水の滝」は、豊の国名水15選の1つとなっている。

    紅葉の名所でもある陽目(ひなため)渓谷はその下流域一帯である。
    散策の起点ともなっている「陽目の里・名水茶屋」。
    ここに車を置き、渓谷沿いに伸びる500㍍ほどの遊歩道を上っていく。
    途中、岩肌から湧く、滝とは呼べぬような水流が何カ所もある。
    やっと300㍍ほど進んで「これが白水の滝か」と思える滝に出会った。
    事前に写真で見ていたように、2本の瀑布がある。
    だが、そうではなかった。標識には「母滝」と書かれている。
                  
「白水の滝」は、ここからさらに200㍍先らしい。
しかも、ちょっと急な上り坂が続く。
息が上がるほどではないが、ゆっくり、ゆっくりと上っていく。
目より耳が先だった。
ゴーゴーと流れ落ちる水音、それから豪快ないくつもの瀑布を持つ
滝が現れたのである。
しばらくの間、濡れるほどではない飛沫にくるまれ、
自然の息吹に静かに身を寄せた。

    そして、気付いた。
    そうか、この「白水の滝」は200㍍ほど手前にあった「母滝」の息子なのだ。
    どちらも複数の瀑布を持っている。似ている。血のつながる親子に違いない。
    しかも、その子は母の願い通り、実にたくましく育った。
    母は少し離れた所にいて、そんな息子を誇らしげに見上げているのだ。

カレーライス

2020年11月10日 06時00分00秒 | まち歩き
     何とも奇妙、というか、理解しがたい関係の男女ペアだ。
     ほぼ週1回は、ランチに通う全国チェーンのカレー屋さんでの話。
                                          
それほど繁く通えば、まあ常連客の一人となっているだろう。
格別、カレーライスが好物というわけではない。そこそこ、といった程度だ。
あの店は旨いだとか、まずいだとか、そんなことにさして執着しないから、
そのカレー屋さんは勤務する会社が入居しているビルの隣にある、
つまり近くにある便利さが何よりの理由となっているのである。

    入口から奥へカウンターが延び、全部で12席しかない小さな店だが、
    付近には会社や店舗が多いせいもあり、ランチタイムは結構込み合っている。
    この昼時は男性1人、女性3人、全員が中年のスタッフで、
    ローテーションにより2人1組、つまりペアになって接客している。
    4人の組み合わせだから数組のペアができるわけだが、
    この中に1組、何とも不思議な関係の男女のペアがいるのだ。
                                               
男性が調理、女性がレジとカウンターを担当しており、
明らかに男性が上司然としている。それはこちらのあずかり知らぬことであるが、
この男性の小うるさいことといったらありゃしない。
「ほれ、早くカウンターを片付けて……」
「レジでお客様が待っておられるじゃないか」
などと休む間もないほど、あれやこれやと指示をする。
「それ、パワハラじゃないですか」と言いたくなるような時さえある。
それも客の面前なのだから、聞き苦しく、見苦しい思いにさえさせられる。
それほどの言われ方だと、「私、辞めさせていただきます」となってもおかしくない、
などと余計なことまで気を揉む始末だ。
                                               
    ところがだ。その女性、腹を立てているふうにはまったく見えない。
    表情も受け答えも平然たるもの。
    「いやー、ご立派」と声を掛けたくなるほどだ。
    驚いたことに、別の日には笑顔交じりで睦まじそうにしているではないか。
    ひょっとして、ご夫婦? 
    そんなことは聞けはしないが、あるいはそうなのかもしれない。
    奥さんが亭主を手の平に乗せ上手に転がす、よくあるあの図だ。
    いやいや、そう言い切れるほどの自信はないか。

    あれやこれやと想像し、心中ニヤニヤしながらカレーをいただく。

大自然を走る

2020年11月07日 06時00分00秒 | 旅行記
               久住 久住 久住

    追いもせず、追われもせず、前後に1台の車もいない。
    たまに後ろに迫る者が来れば、左に寄り先にやる。
    天気も気持ちも晴れ晴れと、久住の山道を走る。
    草原をかすめる風に、滝が弾き飛ばす細かな水しぶきに体細胞を洗い、
    そして身が冷えれば温泉が温めてくれる。
    11月3~5日の2泊3日、Go Toトラベルを利用した久住の旅へ──。

大分自動車道・九重ICから紅葉の名所、「十三曲がり」の九酔渓を目指す。
くねくねとカーブが2㌔ほど続き、途中茶屋の駐車場に入る。
ちょうど見頃とあって、たくさんの人たちがカメラ、スマホを手に絶景に見入っている。
              
              茶屋のすぐ側に「天狗の滝」があり、天狗が
              履いた?赤い大きな下駄が飾ってある。

    九酔渓をさらに上っていくと、日本一の吊橋・九重〝夢〟大吊橋だ。
    なんとしたことか。確かにシャッターを押したはずなのに写っていない。
    やむを得ない。ネットから借用する。
               

やまなみハイウェーの要所の一つ、長者原へ。

タデ原湿原越しに三俣山を望む。

広がる湿原のすすきをなびかせながら、やや冷たい風が走る。

久住の日没は、この時期だとだいたい17時20数分。2頭の牛のシルエットが消えていく。

旅の2日目が明ける。

日の出は6時30数分だ。朝日にすすきが輝く。
車には薄く氷が張りつき、車載の温度計は1度だった。

明るさは増し、右手に目をやれば阿蘇五岳がくっきり。空気が澄んでいる。

    この日は同じ大分県竹田市ながら、宿泊施設から車で1時間少々、
    荻町陽目(ひなため)へ。やはり紅葉の名所である陽目渓谷が目指す所だ。

ただ残念、紅葉は見頃にやや早かった。
でも、さすが「大分県百景」の一つ、流れる水の美しさは言うまでもない。

ここにはもう一つ見所がある。駐車場から遊歩道を500㍍ほど上っていくと、
「白水(しらみず)の滝」に行き着く。38㍍の高さから豪快に落下する滝の水が、
小さな小さな飛沫となって周囲を包んでいる。
途中にも「母滝」など小さな滝がいくつもあり、豊の国名水15選の一つだ。    

さて、帰路はどこを巡っていくか。
くじゅう花公園前の交差点を左折し、くじゅう連山を前に見て広域農道の方へ。

ガンジー牧場にちょっと寄り、そのまま道なりに走ると、
くじゅう連山を背景にして草原が広がっている。そこに愛車を止めパチリ。

放牧されている馬たちのかわいいこと。
   
          この道路は男池に続いていた。ここに来たのは5年ぶりになるか。

          
    今年7月の豪雨で痛めつけられたようで、随分荒れているように見える。
    ただ、岩をむんずと掴んだ木は健在、再会を果たすことができた。
  
     往路と同じように、九酔渓を経て九重ICから一路帰路へ。
     442㌔、大自然のオゾンをたっぷり浴びた癒しの旅だった。