小諸 布引便り

信州の大自然に囲まれて、風を感じ、枝を眺めて、徒然に、社会戯評する日帰り温泉の湯治客です。愛犬の介護が終了しました。

自動運転の必要性を改めて感じる:記事のタイトルを入力してください(必須)

2016年03月03日 | 社会戯評

自動運転の必要性を改めて感じる:

歳をとってから、運転免許の返納が問題になっているが、何でも、運転に自信のある人ほどが、そういう傾向が強いらしい。もっとも、一頃の危険ドラッグによる事件は、減少傾向があるものの、長距離バスの事故や、突然の予期せぬ病気の発症によって、突発的に生じる死亡事故などを考えると、まんざら、自動停止装置とか、その延長線上での自動運転とか、居眠り防止装置とか、様々な安全運転補助の装置が、開発されることも、決して、悪いことではないのかも知れない。公道でのロボ自動運転のタクシー実証実験とか、それなりに、価値のある第一歩になるのかも知れない。そう考えてくると、自動運転という技術も、決して、夢の技術とは、言い切れない様な現実が、いよいよ、近づきつつあるのかもしれない。とりわけ、高齢者や認知症による高速道路上での逆走の事前防止とか、危険運転の可能性の予防装置の導入・提供なども、近い将来には、必ず、実現可能になってくるであろう。一挙にとは行かないまでも、すこしづつ、一歩一歩、装置の改善と、進化が、みられればそれに超したことはないであろう。自動運転は、危ないなどとタカをくくっていると、いつの間にか、技術の進化により、立場が、逆転してしまうかも知れない。その意味では、改めて、自動運転・安全運転補助システムの一層の発展と導入が、産業の総合的な成長・発展も含めて、やはり、必要なのかも知れない。そう考えると、車離れというものも、必ずしも、考えようによっては、まだまだ、成長する分野が残っているように思えるが、、、、、、、。そんな風に、自分自身の考え方が、すこしづつ、変わってきたようである。