小諸 布引便り

信州の大自然に囲まれて、風を感じ、枝を眺めて、徒然に、社会戯評する日帰り温泉の湯治客です。愛犬の介護が終了しました。

ネコノミクスという奴:

2016年03月22日 | 動物・ペット

ネコノミクスという奴:

別に、自分は、18年余も犬を飼っていたから、イヌ派とか、否、ネコ派だとか、という論争に、荷担するわけではないが、何でも、今や、ペットを飼う時に、猫の飼育頭数の方が、犬を上廻る勢いで、その出版物やペット用品などの関連グッズなどを、含めると、今や、2.3兆円を超える程の経済的な効果をもたらすという試算が、喧伝されている。どのように、数字を計算されているかは、定かではないが、消費者マインドが冷え込んでいて、消費購買動機が、低迷化しているというのに、どうしたわけであろうか?まだまだ、売る側には、消費者のマインド分析なるものが、実は、不足がちであるということの反面的な証左にもなりうるのであろうか?それにしても、イヌとの比較では、トイレの躾が、それ程、必要なく、散歩や運動も、少なくて済むし、ペットフード代や、医療費も、イヌに、較べると、相対的に、安上がりらしいし、『ツンデレ』と謂われるが故に、人間関係(?)も、それ程、べったりせずに、勝手、気儘に、自由奔放に、時に、ツンとしていて、時に、デレっと、すり寄ってくる、そういう関係性が、何とも、ネコ好きの人達には、堪らない、魅力だそうである。何とも、人間社会を、そのまま、投影したような姿で、面白いと言えば、ペットに、『癒やしを求める』という一面も、毎日の現実のストレス社会を、垣間見る思いである。それにしても、いつの時代も、人間さまの都合のよいように、何事も、商品化されてしまい、我が輩は猫である、とばかりに、ほざいたとしても、結局は、人間商品社会という枠内の中でしか、猫も犬も、生けて行けぬ存在なのであろうか?もっとも、それを創り出した人間自身が、そのことに、一番、気が付いていても、素知らぬ顔をしているのかも知れないが、、、、、、、。突然、病気になったり、歳をとって、呆けの介護が始まると、仮想の癒やしの世界から、『命』という尊い現実の世界に引き戻されてしまう。