小諸 布引便り

信州の大自然に囲まれて、風を感じ、枝を眺めて、徒然に、社会戯評する日帰り温泉の湯治客です。愛犬の介護が終了しました。

なでしこにみる成果主義のツケ:

2016年03月08日 | スポーツ

なでしこにみる成果主義のツケ:

レジェンドも、結構なことであるが、個人競技とはことなり、団体競技の場合には、後進にそのポジションを与えてあげて、自分は、その経験とノウハウを生かして、指導者への途を歩んでもらいたいモノであると、勝手に、素人は考えがちであるが、自分の力で、下克上さながら、奪いとるのが、この世界の掟であると云えば、そうであるとも、思えないこともないが、、、、、、、。それにしても、なでしこのサッカーというのは、これまでは、男子のサッカーに較べて、安心して、みられたものであるが、ここのところ、少し、陰りが出てきたかなとも思いがちであったが、案の定、余りの急ぎすぎた成果主義と経験重視、安全パイでのベテラン重視で、結局、世代交代が、うまく、ゆかずに、リオ五輪への出場権を逃す結果になってしまったのは、残念なことである。期待していなかった男子の方が、逆に、出場するとは、、、、、、、何とも、皮肉なことである。勝てば、官軍で、佐々木監督も、ぼろくそに言われて、手倉森監督の評価が、圧倒的に、上がってしまったことは、結果の世界だから、仕方の無いことなのかも知れない。それにしても、性急な期待その成功体験の維持の為に、成果主義を徹底的に、突き詰めてくると、結局、どこかで、こういう結果を招きかねないことは、監督のみならず、誰しもが、うすうす、感じていたことであろうことは間違いないであろう。それならば、もっと、プロの解説者は、嫌われても、リオ五輪のためには、澤が出場しなければ、勝てないと、断言すべきであったのかも知れない。又、逆に、自身の引退の花道を、後進の若手に、チャンスをわざわざ、与えた澤の温情は、誠に、美談にはなっても、もっと、レジェンド足る所以のエゴを出させても良かったのかも知れない。四半期毎の成果主義は、結局、行き着くところ、フランスのワールドカップ優勝後での凋落同様、どこかで、常に、常勝巨人軍なるものが、難しいのと同様、その時、ババを掴まされた監督こそ、或いは、選手こそ、お気の毒と云うほかないのかも知れない。女子サッカー界のためには、今後、ベテランや海外経験を積んだ選手達が、草の根から、底上げのために、今後、どんな受け皿で、どのような指導者になり、若い選手を一流選手に育ててゆけるかに関わってくるのかも知れないが、今後が、たのしみである。それにしても、基本的なパス回しとか、意思の疎通とか、一寸したことのミスから、勝てなくなるものであることは、まるで、経済や、人生の一端を垣間見るようである。もはや、スポーツ観戦とは、別の次元で、90分を視てしまうのは、どうしたものであろうか?観る側でよかった。やっている選手達も、監督・スタッフ達は、大変なことであろう。