小諸 布引便り

信州の大自然に囲まれて、風を感じ、枝を眺めて、徒然に、社会戯評する日帰り温泉の湯治客です。愛犬の介護が終了しました。

イサム・ノグチ・ルーム他、三田キャンパスでの美術鑑賞会:

2016年03月31日 | 社会戯評

イサム・ノグチ・ルーム他、三田キャンパスでの美術鑑賞会:

杉並三田会の分科会である『美術鑑賞会』の定例会参加で、これまで、気が付かなかった学内の貴重な美術収蔵品を、解説付きで、観賞することが出来たのは、有難いことである。何でも、今回は、三田キャンパスに保存されている、著名な彫刻家イサム・ノグチの「ノグチ・ルーム」を特別に公開していただき、調度品も含めて、新校舎内に移築保存されている部屋を鑑賞するとともに、解説を、慶應義塾大学の渡部葉子アート・センター教授にお願いして行って戴くということであった。その前に、まず、最初に、渡部先生に解説レクチャーを受け、その後、大学構内を歩いて「ノグチ・ルーム」を特別見学、併せてキャンパス内のイサム・ノグチ、猪熊弦一郎等の彫刻も鑑賞出来るというものであった。全く、学生時代には、そんな貴重な美術所蔵品が たくさん、構内にあるとは、つゆ知らずに、過ごしたものである。知らないということは、恐ろしいことで、別に、知らなくても、生きていけることに違いはないのであろうが、折角、そこに学んでいる学生や卒業生には、やはり、その歴史的な経緯を知って貰っても、決して、損はないであろう。うすうす、ノグチ。ルームなるものの、存在は、知っていたが、それが、何処になり、又、有名な、『無』の石像の意味も、或いは、戦後の空襲から復興する過程での建築物や構内に置かれたブロンズ像、新旧図書館にさりげなく飾られているステンドグラスも、絵画にも、更には、萬来舎に置かれた美術品なども、確かに、謂われなければ、明治期と江戸期の文化・芸術の融合が見られるも、説明を聞かなければ知らないことばかりであった。自らの血筋と、父親との葛藤と、日米間の政治的な戦争と歴史の狭間に、親指と人差し指を丸く、円環に、交差させた中には、『禅の思想』が、密かに、その底流には、込められていることなど、成る程、知らなければ、それで済んでしまうことも、知れば知るほど、奥深いものである。螺旋階段の微妙な傾斜も、何でもCADで計算するのではなくて、人の手で、設計することで、微妙な趣がそこには、現れてくるそうであり、フォルムとか、使い勝手とかいうものは、微妙に、今日の一律的な機能中心の無機質のオフィス・ビルに似たものになってしまうのかも知れない。その意味で、空襲を奇跡的に免れた三田演説館の建物の脇にひっそりと置き去りにされた感じがあるノグチの旧ルーム跡地のフォルムも、こうして、眺めてみると、なかなか、趣があるようである。現役の学生、卒業生も、或いは、一般の人も含めて、観賞に充分堪えうる所蔵美術品、建築学的にも、大変興味深いものである。美術品のみならず、建築様式というものも、詳しく解説されてみると、吹き抜けや、階段にも、様々な趣向が凝らされていることを、設計者の往事の思いが、感じられて、大変、感動してしまうものである。高松の庭園美術館も、訪問してみたいものである。それにしても、藤田嗣治ではないが、イサム・ノグチにしても、日本という国は、世界的な才能を、戦争という特殊な状況を差し引いたとしても、どういう訳か、受け容れがたい風土が、あるのであろうか?桜の花も開花して、旧図書館の写真を思わず、撮影してしまった。