6年乗ったらバイクもあちこち手を入れる必要がありますが、シートがみごとにひび割れてしまいました。ガムテープを貼って誤魔化したりしていましたがどんどん悪化するのでとうとう我慢しきれず、シートカバーを購入。ホンダではすでに作っていないスクーターなのでちょっと不安でしたが、注文を出すとちゃんと純正の在庫がありました。届くのに1週間以上かかったのはご愛敬。どこの倉庫から出してきたんでしょうねえ。見かけはとってもきれいになったし、シート交換の20%の費用ですんだので大満足です。問題はカバーがどのくらいの耐久性を持っているかですが、これはしばらく使ってみないとわかりません。
あ、写真を撮れば良かったな。使用前と使用後で。
【ただいま読書中】
『戦場のピアニスト』ウワディスワフ・シュピルマン 著、 佐藤泰一 訳、 春秋社、2000年(03年新装初版)、1500円(税別)
ワルシャワ・ゲットーでの密輸のシーンから本書は始まります。ゲットーは厳重に隔離されていたはずですが、壁の隙間(排水溝など)を使って大人や子どもがさかんに密輸を行っていました(ただし、警備兵に見つかったら殺されます)。私にとってショックだったのは、ゲットーに金持ちが集まる区画があったことです。“山師”たちは一般のユダヤ人とはかけ離れた贅沢三昧の生活をしていました。著者はそこでピアノを弾いて生計を立てていましたが、やがてインテリ相手のカフェに移ります。1941年~42年にかけての冬、ゲットーでの生活は厳しくなり、チフスが流行します。ゲットー内では埋葬の手段がないため、人々は死体を歩道に放置し市議会の車がそれを回収して共同墓地に運ぶシステムとしました。……中世の黒死病の時でもまだマシな対応だったと思いますが……
ゲットーは二つに分けられていました。貧民が多い大ゲットーと比較的富裕層が多い小ゲットー。著者はここで自分が小ゲットーに住んでいることをやや誇らしげに言います。「ユダヤ人」といっても、“一枚岩”ではなかったようです。二つのゲットーはフウォドナ通りという路面電車も通る大通りをはさんでおり、ユダヤ人が行き来する時には警官隊とドイツ軍が一般の交通を遮断しました。そこを多数のユダヤ人が移動するシーンは、まるでパニック映画のようです。
情報が遮断された状況では、奇妙な噂が多く流れます。ワルシャワ攻囲戦では「ドイツの戦車はボール紙製」、ポーランドが降伏したら「すぐにイギリス(あるいはアメリカ)が救出に来てくれる」、ドイツがソ連に攻め込んだら「ドイツ軍はすぐに大負けする」、ゲットーに閉じこめられたら「ドイツ人が野蛮なことをするはずがない」……希望がなければ人は生きていけませんが、それにしてもこれだけ行き当たりばったりの“希望”は無責任と紙一重です。そしてついに「行動」が始まります。ゲットー内部に親衛隊などが入ってきて、多数のユダヤ人を駆り集め「移住」させるのです。……どこへ? そのとき、最も残酷な行動をしたのは、ドイツ人ではなくて、リトアニア軍やウクライナ軍でした。彼らが行った残虐行為が本書では淡々と語られます。「移住」がスムーズに進まないことに苛立ったドイツ軍は新しい布告を出します。「すすんで出頭してきた家族には、ひとかたまりのパンとジャムを与え、移住先でも家族をばらばらにはしない」。それを信じて多くの人がその通告に応じます。
著者は仕事を得ます。移住していったユダヤ人家庭から出た日用品の仕分け作業です。もっとも楽な仕事ではありません。うっかり鏡を落として割った若者は罰として射殺されたのですから。そしてついに著者一家も移住組として狩り出されます。人々は絶望しますが、そこでもこう言う人がいます。「我々の労働力を無にするほどドイツ人はバカではない。殺されるのではなくて労働収容所に送られるのだ」と。しかしここで著者は家族から引き離されます。家族は安全に生きているという幻影にしがみつきながら著者は肉体労働(不必要になったゲットーの壁を壊す作業)に従事しますが、やがて最終選別の話が。30万人が移住させられましたがまだ10万人残っています。その中から1/4だけをワルシャワに残す、というのです。著者はその選別でも残る組に入れられます。スターリングラードでのドイツ軍の敗北、ゲットーでの蜂起……そのどさくさに著者は脱走し、友人に匿われます。しかし安住の地はありません。信じられる友もいますが信じることができない者もいます。急性胆嚢炎も著者を苦しめます。しかしソ連軍の攻撃が始まり、そしてレジスタンスによるワルシャワ蜂起が。著者はその中でも生き残ります。回り中で弾丸が飛び交う状況でのサバイバルです。しかし、その中にも、世にも奇妙な出会いがあります。愛国者であると同時に、自分の国が犯した罪を公然と恥じる勇気をもったドイツ軍大尉です。著者の数年間の苦しみと彷徨は、この邂逅のためだったのかもしれません。まあ、「人と人との出会い」はすべて奇跡的なもの(一期一会)、と片づけることも可能ではありますが。ただ、巻末に収載されているその大尉の日記が不思議な余韻を本書に与えます。
本書の内容(ゲットーおよびワルシャワでのサバイバル)はショッキングですが、もう一つ。本書は1946年にポーランドで出版されるとすぐに絶版処分になりました(ウクライナやリトアニアなどがユダヤ人を虐殺するのに手を貸し、逆にドイツ人にもユダヤ人を救う者がいた、というのが我慢ならない人々がいたのです)。“再版”されたのは50年以上経ってからでした。この事実自体も私にはショッキングです。
あ、写真を撮れば良かったな。使用前と使用後で。
【ただいま読書中】
『戦場のピアニスト』ウワディスワフ・シュピルマン 著、 佐藤泰一 訳、 春秋社、2000年(03年新装初版)、1500円(税別)
ワルシャワ・ゲットーでの密輸のシーンから本書は始まります。ゲットーは厳重に隔離されていたはずですが、壁の隙間(排水溝など)を使って大人や子どもがさかんに密輸を行っていました(ただし、警備兵に見つかったら殺されます)。私にとってショックだったのは、ゲットーに金持ちが集まる区画があったことです。“山師”たちは一般のユダヤ人とはかけ離れた贅沢三昧の生活をしていました。著者はそこでピアノを弾いて生計を立てていましたが、やがてインテリ相手のカフェに移ります。1941年~42年にかけての冬、ゲットーでの生活は厳しくなり、チフスが流行します。ゲットー内では埋葬の手段がないため、人々は死体を歩道に放置し市議会の車がそれを回収して共同墓地に運ぶシステムとしました。……中世の黒死病の時でもまだマシな対応だったと思いますが……
ゲットーは二つに分けられていました。貧民が多い大ゲットーと比較的富裕層が多い小ゲットー。著者はここで自分が小ゲットーに住んでいることをやや誇らしげに言います。「ユダヤ人」といっても、“一枚岩”ではなかったようです。二つのゲットーはフウォドナ通りという路面電車も通る大通りをはさんでおり、ユダヤ人が行き来する時には警官隊とドイツ軍が一般の交通を遮断しました。そこを多数のユダヤ人が移動するシーンは、まるでパニック映画のようです。
情報が遮断された状況では、奇妙な噂が多く流れます。ワルシャワ攻囲戦では「ドイツの戦車はボール紙製」、ポーランドが降伏したら「すぐにイギリス(あるいはアメリカ)が救出に来てくれる」、ドイツがソ連に攻め込んだら「ドイツ軍はすぐに大負けする」、ゲットーに閉じこめられたら「ドイツ人が野蛮なことをするはずがない」……希望がなければ人は生きていけませんが、それにしてもこれだけ行き当たりばったりの“希望”は無責任と紙一重です。そしてついに「行動」が始まります。ゲットー内部に親衛隊などが入ってきて、多数のユダヤ人を駆り集め「移住」させるのです。……どこへ? そのとき、最も残酷な行動をしたのは、ドイツ人ではなくて、リトアニア軍やウクライナ軍でした。彼らが行った残虐行為が本書では淡々と語られます。「移住」がスムーズに進まないことに苛立ったドイツ軍は新しい布告を出します。「すすんで出頭してきた家族には、ひとかたまりのパンとジャムを与え、移住先でも家族をばらばらにはしない」。それを信じて多くの人がその通告に応じます。
著者は仕事を得ます。移住していったユダヤ人家庭から出た日用品の仕分け作業です。もっとも楽な仕事ではありません。うっかり鏡を落として割った若者は罰として射殺されたのですから。そしてついに著者一家も移住組として狩り出されます。人々は絶望しますが、そこでもこう言う人がいます。「我々の労働力を無にするほどドイツ人はバカではない。殺されるのではなくて労働収容所に送られるのだ」と。しかしここで著者は家族から引き離されます。家族は安全に生きているという幻影にしがみつきながら著者は肉体労働(不必要になったゲットーの壁を壊す作業)に従事しますが、やがて最終選別の話が。30万人が移住させられましたがまだ10万人残っています。その中から1/4だけをワルシャワに残す、というのです。著者はその選別でも残る組に入れられます。スターリングラードでのドイツ軍の敗北、ゲットーでの蜂起……そのどさくさに著者は脱走し、友人に匿われます。しかし安住の地はありません。信じられる友もいますが信じることができない者もいます。急性胆嚢炎も著者を苦しめます。しかしソ連軍の攻撃が始まり、そしてレジスタンスによるワルシャワ蜂起が。著者はその中でも生き残ります。回り中で弾丸が飛び交う状況でのサバイバルです。しかし、その中にも、世にも奇妙な出会いがあります。愛国者であると同時に、自分の国が犯した罪を公然と恥じる勇気をもったドイツ軍大尉です。著者の数年間の苦しみと彷徨は、この邂逅のためだったのかもしれません。まあ、「人と人との出会い」はすべて奇跡的なもの(一期一会)、と片づけることも可能ではありますが。ただ、巻末に収載されているその大尉の日記が不思議な余韻を本書に与えます。
本書の内容(ゲットーおよびワルシャワでのサバイバル)はショッキングですが、もう一つ。本書は1946年にポーランドで出版されるとすぐに絶版処分になりました(ウクライナやリトアニアなどがユダヤ人を虐殺するのに手を貸し、逆にドイツ人にもユダヤ人を救う者がいた、というのが我慢ならない人々がいたのです)。“再版”されたのは50年以上経ってからでした。この事実自体も私にはショッキングです。