【ただいま読書中】

おかだ 外郎という乱読家です。mixiに書いている読書日記を、こちらにも出しています。

エコタイヤ

2010-03-15 18:50:35 | Weblog
 思わぬ雪が降ったので先延ばしにしていた車のタイヤ交換を先日やって来ました。夏用も冬用ももう交換時期だったので、まずは夏用を新調することに。店頭には「エコタイヤ」が山積みされています。「なんでエコになるの?」というぶしつけな質問に店員は丁寧に答えてくれましたが、私が理解したところでは、転がり抵抗が少ないのでアクセルを踏む量が軽減できる → 燃料消費が減る、という理屈のようです。それでも首を傾げていると、さらに値引きとオマケ(空気注入口のゴムを新調、窒素ガス充塡)をつけてくれることになったのでそこで手を打つことにしました。
 話を聞いていて面白かったのは、4月から家電のエコポイントが制度変更で今までエコポイントがついていたのに外れる機種があるのと同様に、タイヤにもエコタイヤで開発したのに新しい基準を満たせずに「エコ」を名乗れなくなったものがある、ということ。ものができてから基準を色々いじるのは、開発者(特にフロントランナー)には非道いことのようにも思えますな。

【ただいま読書中】『南極第一次越冬隊とカラフト犬』北村泰一 著、 教育社、1982年、1800円

 「梅雨」を理解するためには、北極圏の高気圧と熱帯の気象に関係する小笠原高気圧との関係を知らなければなりません。地球物理を理解するには、地球全体で同時観測をする必要があるのです。そこに南極観測の意味(に一つ)があります。国際協力による観測は、1882年と1932年に「極年」として行なわれ、1957年は南極を中心とした「地球観測年」となる予定でした。日本は「できる範囲で協力する」予定でしたが、そこに朝日新聞が火をつけます。南極観測をやろうぜ、と。科学者・政府がまとまり、反日的な雰囲気の国際会議も通過し、ついに計画は動き始めます。しかし、情報はほとんどありません。機材もありません。予算もありません。
 当初の計画では、57年は“お試し”で夏期だけ予備観測を行ない、翌年本隊30人を送り込んで越冬させることになっていました。しかし隊長に選ばれた西堀栄三郎は少人数での“お試し”でこそ冬期の厳しさを知っておかなければ、本隊が丸ごと危険なことになるかもしれない、と考えます。
 大蔵省は足かせでした。予算は1円単位で決まってなければいけません(緊急事態や状況の変化に対応した支出を認めません)。翌年への持ち越しは禁止です(非常用の燃料や食料は買えません)。そこで民間からの寄付が大きな意味を持ちます。朝日新聞の1億円は別格ですが、宗谷が出発するまでに一般から4500万円が集まりました(国の年間予算が1兆円の時代です)。
 越冬するのは11名。著者は隊員の中ではもっとも若手の大学院生で犬ぞり班に配属されました。
 もちろん真面目な話がてんこ盛りですが、中には興味深いの裏話も。たとえば、朝日新聞は言い出しっぺで大金も支出し隊員も出しています。ところがマスコミ各社が「国家事業なのだから、朝日の報道独占は許されない」と主張。汗もかかず金も出さず、ニュースのネタだけくれ、です。ダッチワイフの話も出てきます。なんとダッチワイフ(愛称「べんてん様」)は本当に持ち込まれていたのです。ただし……いやまあ、これは、本書をお読み下さい。抱腹絶倒七転八倒です。
 雪上車は寒さのため不調で、そのかわりを犬ぞりが勤めました。1年間で雪上車の走行距離は1500km、大して犬ぞりは1600kmだったのです。ただし、集団でそりを引く訓練をきちんと受けたことがないカラフト犬たちですから、最初はまっすぐ走ることさえ困難な状態でした。訓練をしながらの探険行という泥縄のやり方ですが、その間に人と犬の間では気持ちが通じ合うようになってきます。
 1年ぶりにやってきた宗谷は、苦闘していました。もともと砕氷船ではなくて耐氷貨物船です。氷に閉じ込められスクリューの羽が折れ、バートン・アイランド号の救援を受けてやっと氷海を進んでいましたが、バートン・アイランド号自体も別の救援要請を受けていました。残された期間は6日間。まず第一次越冬隊を宗谷に飛行機で収容し、それから第二次越冬隊を送り込む、と定められます。隊員たちは心を残しながら“一時的”に昭和基地を離れます。第二次越冬隊は急遽大幅に縮小することが決定されます。しかし事態は悪化の一途。ついに第二次越冬隊の送り込みは放棄されます。宗谷はバートン・アイランド号に追随しますが、その途中でさえプロペラシャフトが曲がり、舵も不調となります。
 日本からは「犬を殺すな」「犬殺しは日本に帰ってくるな」といった電報が宗谷に次々送られ、隊員たちの自宅には嫌がらせや脅迫電話が相次ぎました。犬を残すことになった隊員たちが、実は一番傷ついていたのですが、「自分が不愉快な気分になったから、他人を傷つけて良い」と思う人は、昔も今もたんと存在している様子です。
 著者は第3次越冬隊に参加し、タロ・ジロと再会できました。出発直前には、二頭の犬と再会できる夢を見たそうです。
 第1次越冬隊から25年を経て書かれた本書には、カラフト犬と、未熟だった南極調査と、かつての日本に対する思いが満ちています。