【ただいま読書中】

おかだ 外郎という乱読家です。mixiに書いている読書日記を、こちらにも出しています。

素数じゃないもの

2010-03-19 18:24:30 | Weblog
 私の年齢。妻の年齢。二人の年齢の合計。
 わが家の固定電話(市外局番の頭のゼロを除いた9桁の数字)。私の携帯電話番号。
 今私が着用している衣服の数。

【ただいま読書中】『素数の音楽』マーカス・デュ・ソートイ 著、 冨永星 訳、 新潮社、2005年、2400円(税別)

 ワイルズによって「フェルマーの最終定理」が証明され、数学者の視線は残る大問題「リーマン予想」に集中しました。
 1900年8月、ダーフィト・ヒルベルトは、来るべき20世紀の数学者が解決するべきものとして23の問題を提示しました。ところがその8番目「リーマン予想」だけが未解決のまま21世紀を迎えようとしていたのです。これはつまり「素数の出現」についての予想です。「それがどうした」と言いたくなりますが、実は我々にも身近な問題があります。ネットで使われるRSA暗号(公開鍵暗号)には巨大な素数が使われていますが、リーマン予想が証明されると、公開鍵の数字の素因数分解が容易にできるようになって暗号が安全でなくなる、のだそうです。
 紀元前3世紀アレクサンドリアのエラトステネスは「エラトステネスのふるい」と呼ばれる素数表を作成します。数の表から素数の倍数を次々消していって少しずつ大きな素数を残していったものです。ではそこに残された素数に何らかのパターンが存在するのか? 数学者たちは地道に素数表を作成し、そこに「パターン」を探します。
 ガウスは“別の見方”をしました。「ある幅の数の中にいくつ素数が出現するか」を問うたのです。するとそこに「規則性」が顔を出しました。それも自然数eを底とする対数として。「素数が奏でる音楽の主旋律をはじめて耳にした人物」とガウスは本書で評されます。そして、素数の不協和音の背後に潜む和音の力を本当に知ったのは、ガウスの弟子、リーマンでした。
 ここで「音楽」が登場するのは偶然ではありません。ピタゴラスの時代から音楽と数学には深い関係があることはわかっていました。ライプニッツは「音楽は、人間の頭脳が、知らず知らずに数えることによって経験する喜び」と述べているそうです。
 無理数・虚数・非ユークリッド幾何学……“それまでにないもの”が登場するたびに“従来の数学”は抵抗をします。しかし、それらが受け入れられ従来のものと結合されると、数学はさらに豊かな世界に広がっていくことになりました。
 ランダウ・ハーディー・リトルウッド・ラマヌジャン・セルバーグ・エルデシュ・ゲーデル・チューリング・ザギエ・ダイソン……数学者の仕事ぶりは様々です。孤高を保つ人、共同研究に熱心な人、一点深掘り、あちこちにふらふら……本書には本当に様々な数学者が登場します。それぞれの人生が魅力的に描かれています。ただ、先人の業績を基礎にしながら、「自分の業績」を世界に刻もうとする(自分の名前がついた定理を残す)努力の重さは共通しています。そしてそれが次々と時代や国を超えて“リレー”されていく様に私は感銘を受けます。「数学は、人間の営為」と。ところがそこに、コンピューターが登場。数学の様相が変化します。さらにインターネット。RSA暗号の解読は、数学の中に「実験科学」「実用科学」に近い流れを生みました。「数学の学問の純粋性を汚す」と嫌う数学者も多くいましたが、実は「巨大素数をかけ合わせた数を因数分解する」ためには、数学の理論面での意外な進展が必要でした。さらに、この暗号で守られるべきインターネットが、この暗号を解くために大活躍します(ネット上の多数のパソコンが協力・分担して分散処理をするのです)。
 驚異的な“出会い”もあります。プリンストン高等研究所のお茶の時間に数論学者のモンゴメリーがリーマンのゼロ点に関する自分のアイデアをダイソンに説明したところ、モンゴメリーのグラフがエルビウム(周期表68番目の元素)の原子核エネルギー準位のグラフとそっくりなことがわかったのです。リーマンの数論と量子物理学がくっついてしまったのです。この“結合”には驚きますが、リーマンの遺稿にすでにそのことについての記述があることを知らされて、私は腰を抜かします。
 数論・音楽・量子物理学・言語学・コンピューター……さまざまなものが響きあう本です。読むのに(そして理解するのに)一筋縄ではいきませんが、その紆余曲折もまた楽しめます。だからといってがちがちに「知的」というわけでもありません。たとえば「美しい庭に豚が入り込んで荒らし回る」なんて非常にわかりやすいたとえなども豊富に登場します。豚には豚の“美的感覚の主張”があるのでしょうけれどね。