「生者必滅」ということばもありますが「人は誰も自分だけは死なないと思っている」ということばもあります。ただ「死」から目を逸らしていると結局「生」にもきちんと向き合えないことになるでしょう。「生死」は一つのセットなのですから。で、ふだんから「生(と死)」に向き合っていないからこそ、自らの死と直面しなければならない状況で、キューブラー・ロスの「死の否認」が最初に出てきてしまうのではないでしょうか。まあ、それが人の自然な性(生きるということ)なのでしょうけれど。
【ただいま読書中】『納棺夫日記』青木新門 著、 文春文庫(増補改訂版)、1996年(2009年20刷)、467円(税別)
著者は4歳で満州に渡り8歳で終戦。引き上げを待つ難民収容所で妹と弟は死亡し、死体置き場に二人の死体を棄ててきた、という記憶を著者は持っています。詩人となりパブ喫茶を経営、たまたま客としてやって来た吉村昭に勧められて書いた短編小説が「文学者」に採用。適当な経営で店は潰れ子どもができ、困って求人欄でたまたま目にしたのが、葬儀社でした。
映画「おくりびと」は、けっこう本書の骨格を生かしてシナリオ化がされていたんだな、と感じます。というか、あの映画、ほとんど“実話”だったんですね。
死体にほとんど抱きつくような辛い仕事ですが、さらに「そんな仕事はやめろ」と親戚に責められたり「穢らわしい」と奥さんに言われたり、周りからも著者は傷つけられます。しかし、昔の恋人の家での“仕事”での体験が、著者を大きく変えます。ここはぜひ本文を当たってください。「人がどのように変容するか」の本質をえぐった描写に出会えます。
第三章は仏教に関する考察、というか、仏教的な世界観の考察です。それも「現場での体験」から出発したものですから、迫力があります。空理空論なんか吹き飛ばされてしまうでしょう。「死」を見詰め続けることで著者は〈ひかり〉を見る境地に到達します。内省的で魅力的な文章で綴られた「死の文学」ですが、生と死を分断するのではなく、どちらかを無視(否認)するのでもなく、「そこにある」ことを認めることから始めたら何が見えるか、「おくりびと」とはまた違った世界を、どうぞ。
【ただいま読書中】『納棺夫日記』青木新門 著、 文春文庫(増補改訂版)、1996年(2009年20刷)、467円(税別)
著者は4歳で満州に渡り8歳で終戦。引き上げを待つ難民収容所で妹と弟は死亡し、死体置き場に二人の死体を棄ててきた、という記憶を著者は持っています。詩人となりパブ喫茶を経営、たまたま客としてやって来た吉村昭に勧められて書いた短編小説が「文学者」に採用。適当な経営で店は潰れ子どもができ、困って求人欄でたまたま目にしたのが、葬儀社でした。
映画「おくりびと」は、けっこう本書の骨格を生かしてシナリオ化がされていたんだな、と感じます。というか、あの映画、ほとんど“実話”だったんですね。
死体にほとんど抱きつくような辛い仕事ですが、さらに「そんな仕事はやめろ」と親戚に責められたり「穢らわしい」と奥さんに言われたり、周りからも著者は傷つけられます。しかし、昔の恋人の家での“仕事”での体験が、著者を大きく変えます。ここはぜひ本文を当たってください。「人がどのように変容するか」の本質をえぐった描写に出会えます。
第三章は仏教に関する考察、というか、仏教的な世界観の考察です。それも「現場での体験」から出発したものですから、迫力があります。空理空論なんか吹き飛ばされてしまうでしょう。「死」を見詰め続けることで著者は〈ひかり〉を見る境地に到達します。内省的で魅力的な文章で綴られた「死の文学」ですが、生と死を分断するのではなく、どちらかを無視(否認)するのでもなく、「そこにある」ことを認めることから始めたら何が見えるか、「おくりびと」とはまた違った世界を、どうぞ。