私が彼の作品を初めて読んだのは、小学校の図書館か児童図書館の『注文の多い料理店』か『セロ弾きのゴーシェ』か『よだかの星』か、と思っていましたが、今日の詩集を読んで違うことに気がつきました。家にあったカレンダーかポスターかにあった「高原」という詩です。「海だべがと おら おもたれば/やつぱり光る山だたぢやい/ホウ/髪毛 風吹けば/鹿踊りだぢやい」が大胆な版画と組み合わさっていましたっけ。出会ったのはたぶん小学校の中学年のとき。あまりに凝縮された言葉の重さと、そこから放たれる奔放なイメージのきらめきに子どもの私は強烈な印象を受けました。それは数十年後になっても、私の脳髄にしっかり刻印されています。
【ただいま読書中】『賢治宇宙』詩 宮澤賢治、ゑ 小林敏也、パロル社、1992年、1942円(税別)
7日の読書日記に書いた『納棺夫日記』に宮澤賢治の「永訣の朝」が引用されていたのを読んでから、どうしてもその詩をきちんと読みたくなって図書館から借りてきました。本書では、賢治の詩が「序(春と修羅)」から「或るラブレターの全部的記録」まで大体年代順に並べられています。お目当ての「永訣の朝」ははじめから1/3くらいの所に位置していました。有名な詩ですからご存じの方も多いでしょうが「けふのうちに/とほくへいつてしまふわたくしのいもうとよ/みぞれがふつておもてはへんにあかるいのだ/(あめゆじゆとてちてけんじや)」で始まり「おまへがたべるこのふたわんのゆきに/わたくしはいまこころからいのる/どうかこれが天上のアイスクリームになつて/おまへとみんなとに聖い資糧をもたらすやうに/わたくしのすべてのさいはひをかけてねがふ」で終わる痛切な響きをもった詩です。「雨ニモ負ケズ」(本書では最後から二つ目)でもそうですが、どうしてこの人はこんな我が身を削るような文章を書いてくれるのでしょうねえ。どの詩も、読んでいて心がざわざわして困ります。
【ただいま読書中】『賢治宇宙』詩 宮澤賢治、ゑ 小林敏也、パロル社、1992年、1942円(税別)
7日の読書日記に書いた『納棺夫日記』に宮澤賢治の「永訣の朝」が引用されていたのを読んでから、どうしてもその詩をきちんと読みたくなって図書館から借りてきました。本書では、賢治の詩が「序(春と修羅)」から「或るラブレターの全部的記録」まで大体年代順に並べられています。お目当ての「永訣の朝」ははじめから1/3くらいの所に位置していました。有名な詩ですからご存じの方も多いでしょうが「けふのうちに/とほくへいつてしまふわたくしのいもうとよ/みぞれがふつておもてはへんにあかるいのだ/(あめゆじゆとてちてけんじや)」で始まり「おまへがたべるこのふたわんのゆきに/わたくしはいまこころからいのる/どうかこれが天上のアイスクリームになつて/おまへとみんなとに聖い資糧をもたらすやうに/わたくしのすべてのさいはひをかけてねがふ」で終わる痛切な響きをもった詩です。「雨ニモ負ケズ」(本書では最後から二つ目)でもそうですが、どうしてこの人はこんな我が身を削るような文章を書いてくれるのでしょうねえ。どの詩も、読んでいて心がざわざわして困ります。